関西支部への誘い

森  巧 (日本スペースガード協会)



1.衝突対策

 衝突対策は、国際組織を作ってやるにしろ、国際協力或いは日本単独でやるにしろ、国家、国民の安全に関わる重大事であるゆえに、優れて国家の仕事である。したがって、スペースガードを名乗る唯一の社会集団たるJSGAの仕事は、処方箋を示して国家を動かすこと、そのことに責任を持つことであると私は考える。衝突問題を政府のテーブルに載せることについて、くみし易いのは、すべての国民がそれを望んでいること、また、難しいところは落ちてくる機会が極端に少なく、施策の優先順位を決めかねることである。したがってJSGAには処方箋を示すことの他に、政府の背中を押すのも重い役目になる。

 背中を押すのに大衆を動員しての街頭デモや、マスコミを使う選択肢もあるが、一時の熱狂や気まぐれでは息の長い仕事に対応できないからとるべきではない。押す力は社会の良識として持続的にあることが望ましい。JSGAは10万の会員でこれをなそうと考えている。研究者を数百人としても99パーセントが普通の市民であるこの10万は全国民の価値観を代表し、その総論が、全国民が勉強し討論して得た結論と等価になる、そう言う数字である。もちろん、ほとんど確実に他の原因で死ぬことになる全国民が、衝突を勉強し議論するのは壮大な無駄であるから、JSGAで代替する案は合理的で受け入れやすい。会は勉強し討議するに際して、あらゆる情報を公開し、開かれた運営をすることによって、国民の信頼を獲得し、行政を直ちに動かすに十分な力をつけなければならない。


2.市民と科学者

 スペースガードをキーワードにすると、研究の促進だとか、成果の普及、或いは人類への貢献とかは歯切れが悪い。JSGAの定款やあすてろいどを読んで、学者と自分の距離に悩んだ。衝突はこの20年間に生まれ育った科学である。学者は、まだ研究の歴史の中に身を置き、まだまだ調べるべきことがいっぱいある。このままではまともな対策はとれないと考えている。

 他方、市民は星が落ちてくるという結論だけを知って、「落ちてくるのか、さてどうする」 のみ込みが早く学者より先を見ている、そんな感じである。学者には、まず研究があって、次にそれに基づく対策があって、安全が担保される。市民は、はじめに安全の枠組みをつくり、防御計画を立て、その中に研究という構図をえがく。会員の役割についても、市民会員は自らを国民を護ることを政府に要求する主体と考える。研究者にとっての市民会員は、研究成果の受け皿であり、普及担当者、後援会であり、研究費獲得のための圧力集団である。

 要求主体としての市民の立場はわかりやすいが、市民は学者の協力なしでは何もできないし、さらに、学者が研究の振興から始めなければ先に進めないというのもおそらく真実であろう。だからといって、資源としての活用までを含む広範な研究の振興を名目にされては、そうすることがいかに合理的であろうと市民にはついていけない。焦るときりがないが、明日落ちることありとせば会の自己否定になるからである。市民と学者が一緒に活動するためにはこのような詮索は無用にみえるが、両者の間に意識や手法に差異があることを認識していないと、会員としての自分がなぜここにあるかわからなくなる。


3.なぜ支部なのか

 日頃なに気なく感じていたことを誇張して書き、会の精神を損ねたかも知れない。東京から離れている気軽さがそうさせたということにして頂ければ好都合である。この度、関西支部をつくることになった。これが旨くいけば順次他の地域につくることになろう。組織の細分は、これまでの会員としての活動に何らの制約を加えるものではない。しかし、それが単なる形式にせよ、それがあるだけで、大勢と異なる言行をとりやすくする。細分はいろいろな価値観、いろいろな意見を持った会員が同居するのに必要な仕組みであり、市民と科学者が同居するJSGAでは必然のあり方である。もちろん、異質は学者対市民に限らない。安全の目標値の設定、政策の順位付け、防衛に伴うリスクをどこまで許容するか、具体的になれば思わぬ理屈が並立することになろう。

 無理に対立の構図をつくることもないが、そのような場を用意すれば、いろいろな考え方が生まれ、育ち、さらに、それが温存されることになり国際情勢の変化や、技術の進歩、社会システムの変化に柔軟迅速に対応できる。当然、一般論としての会の健康法にもかなっている。