『あすてろいど』をお読みの皆様、はじめまして。私は日本スペースガード協会の個人メンバーの船田と申します。当協会の磯部秀三先生(国立天文台)のお誘いによって入会させていただきました。本誌でご紹介をいただくのは大変名誉なことですが、多分に「政治をやっているものが天文に興味を持っているなんて珍しい」とのご配慮から、このような機会をいただいたものと思います。   
私が天文学に興味を持ったのは、まず父の影響でしょう。父はかつて私立の作新学院(在・宇都宮市)の理科の教師をしていましたが、1957年の人類史上初の人工衛星・スプートニク1号の軌道観測を教え子たちとともに行い、そのデータをアメリカのスミソニアン天文台に送ったところ、幸いにその認めるところとなり感謝状が送られてきました。それ以来父は天文学に病み付きになり、早速高校に天文部を作ったばかりか、口径15センチの屈折望遠鏡を擁したドーム型天文台まで作ってしまいました。天文部の夜間観測にしばしば連れて行かれた小学生の私が、宇宙に興味を持たないはずはありません。自分でも小さな望遠鏡を買い込み、天体観測や星野写真の撮影に夜な夜な出かけるという学生時代を過ごしました。
 一時期私は、将来は天文学者になるという夢を真面目に追い求めていましたが、数学嫌いが致命傷だったのでしょうか、高校三年生の時に諦めてしまいました。しかし天文や宇宙に対する興味は決して衰えることなく、どろどろとした現実の政治の世界からしばし逃避するには、むしろ絶好の手段になっています。また私はかつて遂げられなかった夢を形を変えて実現しようと思い、政府が関与する様々な宇宙研究・開発プロジェクトに、政治の立場から微力ながらバックアップしようとしてきました。その中でも印象深いのは、国立天文台の大型光学天体望遠鏡「すばる」計画の実現です。宇宙の果てを見よう、すなわちその起源を見ようと言うこのプロジェクトは、ハワイ島の火山の頂上に国立の研究施設を作ってしまうという前代未聞の試みでしたし、何よりも500億円以上にものぼる膨大な建設費をどうやってひねり出すかが最大の懸案でした。たまたま同僚議員のなかで与謝野馨元文相や保利耕輔元文相など、この道を趣味としている数少ない(しかし有力な)仲間が集まり、すばる計画推進議員連盟を組織することが出来ました。ここでの活動が幸い文部省に認められるところとなり、ほどなく建設着工の運びとなったわけです。私もランドクルーザーで一気に4、200メートルのマウナ・ケアの頂上まで登ってきました。平成10年秋にはファーストライト、12年3月には完成の見込みであり、今からわくわくしています。
 現在私はスペースガード協会の皆様と連絡を取り合いながら、地上でのNEOの観測体制の強化や、将来の月面望遠鏡の可能性を探るなどのテーマにおいて、微力ながらお手伝いをしております。小惑星衝突に備えて我々は何らかの準備をすべきだ――などという話を同僚議員にすると、その多くは目を白黒させるか、そんなばかなと一笑に付されるのが関の山ですが、一方でその可能性がゼロでないのだとしたら、費用対効果を考えながらも、国として真剣に耳を傾けるべきではないかという議員も少しづつ増えてきたようです。もちろん私も小惑星衝突による被害が人類にとって壊滅的であり、その確率がゼロでないわけですから、この対策に一定の予算を使うことは当然だと考えます。
これからも日本スペースガード協会の皆様には、将来起こるかもしれない小惑星衝突に何らかの備えを持つべきだという考えを、出来るだけ多くの国民に普及させる活動を展開して頂きたいと思います。また天文や宇宙に多少なりとも興味を持つ議員の力を集めて、国のプロジェクトとして動き出せるようバックアップしていきたいと思っています。関係の皆様のご活躍をお祈りしております。



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