ニース滞在記(?)の第2回目です。 日本では、2月は真冬ですが、ニース では春。カーニバルの季節です。 今回は、このカーニバルについて綴ってみました 。また、前回に予告しましたニース天文台での小惑星観測については、天候がよくな かったり日程が合わなかったりして、まだ観測の見学などはしていません。もうしば らくお待ち下さい。 今回は、最近次々と発見されています面白い軌道の小惑星につ いて報告したいと思います。(「あすてろいどニュース」のページをご覧下さい。)
 クリスマスやニューイヤーの余韻もさめてくる頃、街のそこかしこに人の背丈 くらいの大きさの独特の風貌をもったハリボテの人形が出現し始めた。また、街の中 心の広場や海岸通りには、何段にもなった見物席が設置され出した。そう、いよいよ カーニバルが近づいてきたのである。広場には、カーニバルを告げる大きなパネルや 、高さ5m位はあるがやはりハリボテの王様の人形もお目見えした。
 ニースのカーニバル、フランス語でカルナバルは、今年は2月8日から23日までの16 日間にわたって行われた。前夜祭的なものはすでに6日から始まっていたので、18日 間にわたってニースの街はカルナバルの騒ぎの中にあったことになる。
  
           (カーニバルを告げるパネル。今年のテーマはスポーツ)
 カルナバルの初日は、花のパレードで始まった。これは、花で飾り付けをした「山 車」のようなものと音楽隊などがパレードしていくものである。さすが、温暖な気候 だけあって、この時期にでも色とりどりの花が咲いている。それをふんだんに使った 山車は、見ていて本当に美しい。さらに、それぞれの山車には、コートダジュールを 代表するような美女たちが乗っていて、見るものをいっそう引きつける。むしろ、こ ちらの方が主役であろうか。もちろん、彼女たちの衣装にも花が使われている。
 この花の車に乗った美女たちは、見物席に美しい笑顔だけでなく、花も投げて入れ てくれる。主に、黄色いミモザの花だが、ユリやカーネーションなどもある。それを 、みんな競い合って受け取ろうとするので、見物席は大混乱。花を受け取ることがで きると、今年1年、幸運にでも恵まれるのであろうか? 我々は、前から4列目の席 に陣取っていたにもかかわらず、少ししかミモザを取れなかった。今年はついていな い? いえいえ、なかなか、この席まで花が届かないのだ。美女たちは美しいが力は 強くない。
 ニースのカルナバルでは、3つのメインとなるパレードがある。1つがこの花のパ レードであるが、他の2つは、大小さまざまの人形のパレードであり、1つは昼間、 もう1つは夜に行われる。夜に行われる方は、光の演出も加わって、光のパレードと もなる。最初に書いた、街中に出現した独特な風貌のハリボテ人形は、実はこのパレ ードのためのものだったのである。
  
                  (花のパレット−花のカーニバル−)
 この人形のパレードには毎年テーマがあるようだ。今年は、スポーツがテーマで、 スポーツに関係した多くの人形が、音楽隊も交えて練り歩いていた。大きなものは数 メートルくらいの高さがあり、台車の上に載せられて移動して行くが、多くは人がす っぽりとかぶって行進していく。オリンピックの聖火台から、自転車やスキー、そし てラグビーボールやバトミントンの羽根など、あらゆるものが題材として使われてい た。日本に関係するものとしては、お相撲さんの人形もあった。
 日本がでてきたついでに、ちょっと記しておくと、日本からもこのニースのカルナ バルに参加していたグループがあった。高校生くらいの若物たちの吹奏楽団で、見物 席から喝采を浴びていた。それと、着物を着たミス神戸(?)も注目を集めていた。 ただ、日本人の目から見ても、この日本のパレードはそのコスチュームといい振る舞 いといいエキゾチックに見えた。わざとそのような演出にしたのであろうか?
      
         (大きなラグビーボール −人形のカーニバル−)
 さて、このニースのカルナバルであるが、今ではかなり観光化されてきているよう で、ここで書いたようなパレードを見るためには入場券を購入しないとけない。公道 で行われているのにもかかわらずである。しかし、その歴史は古いようで、西暦1294 年には行われていたという記述があるそうである。本来は、カトリックの行事で、毎 年2月、復活祭前の6週間である四旬節(キリストが荒野で断食と贖罪の日々を過ご した期間)の前の2週間に行われるとのことだ。カトリックの国では、肉食を断つ断 食修行の前に大いに肉を食べ酒を飲み大騒ぎする習慣があったのだ。これはまた、厳 しい冬の生活に活気を与え、冬の悪魔を追い払う意味もあったという。
 ところで、カルナバルの最終日の夜9時くらいに街に出てみると、大通りに多くの 人が集まっていた。しばらくすると、何と日本の吹奏楽団の先導で、ハリボテの王様 がビーチまで運ばれていった。何人かは、火のついた松明を持っていた。海岸で見て いると、遠くに王様の人形を置いて、一気にそれを燃やしてしまった。これは、古く なった王を殺すことで、新しい神の再生を求めるためという。と同時に、海にちょっ と突き出た岬から花火が打ち上げられた。この打ち上げ花火の終了をもって、カルナ バルも終わりを告げたのである。現在のニースのカーニバルは、庶民の祭りというよ りは、観光用のイベントの色彩が強い。これは、時代の流れとして仕方がないことで あろう。しかし、ハリボテの人形の独特な表情には、歴史があると言ってよいのだろ う。
 時をほぼ同じくして、ニースから列車で30分ほどのところにあるイタリアとの国境 の町マントンでもお祭りが行われていた。こちらは「レモン祭り」とでも言えるもの で、ハリボテの代わりにレモンとオレンジで人形を作ってパレードしていくというも のである。レモンの産地ならではの祭りであろうか。
 これらのお祭りが終わり、見物席も現在ではすべて取り払われてしまった。そして 、日差しが日増しに強くなってきた。いよいよ、海の季節である。

[ご案内:来年、1998年のニースのカーニバルは、2月14日から3月1日にかけて行わ れるそうです。来年のテーマはサーカス。興味のある方は是非ニースへどうぞ。]


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  フランス名物?

   「グレーブ」

        クレープではない。
           グレーブである。
              さて、その正体は?

 フランスといえば、パリ、芸術、ファッション、料理、シャンソン等々浮かんでく るが、実はストライキも名物?である。ニース天文台にドイツから来ている研究者が 、最初に覚えるフランス語は「グレーブ」(greve:ストライキの意)だと教えてく れた。
 果たして、ニースに住んで3ヶ月。市内のバスのストライキにすでに3回遭遇した 。そのうち最も長かったものは、16日間のスト。2月6日(木)から市内のバスのスト ライキが始まって、終わったのが2月22日(土)。この間、市内のほとんどのバスは 止まったままだった。天文台に行くときも、バスが動いていない区間は徒歩。おかげ で、1日あたり10kmも歩いて通勤するということになった。ただ、ニースのビーチに 沿ったコースを選んだので、歩くのは快適。こんな優雅な通勤は、日本では考えられ ない。日頃の運動不足も一気に解消された。
 不思議なのは、これだけ長期にストがあっても、街中は何事も起こっていないかの ようにいつもと変わりがないこと。バスが走っていないだけ、かえって交通がスムー ズになっている。バスの利用者はかなり多いのに、みんなどうしているのだろう。そ れと、このストライキがほとんどカーニバルの期間と重なっていたのは、果たして故 意か偶然か!?
[筆者注:ストでなくても天気がいいときなどは、海岸に沿って歩く優雅な通勤をし ています。ただし、行きだけですが。]

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