ニース天文台の12カ月 -第3回-

    もう一つのプロバンス

         −ファーブルとノストラダムス−

                      吉川 真(ニース天文台)


 モナコF1グランプリにカンヌの映画祭。そして海。コートダジュールは、まさに観光シーズンに突入です。ただ今年はちょっと異常気象気味で、5月初旬には少し肌寒い日々が続きましたが、今ではまた暑い日差しが戻ってきました。さて、今回は、このコートダジュールのお隣の、プロバンスについて書いてみました。2日ほどの小旅行で見ただけのプロバンスですが、個人的には興味深いものでした。それと、前々回に予告していました、こちらでの小惑星観測についてもレポートしたいと思います。


 都会人のあこがれの田舎−プロバンス。あふれる日の光や美しい自然に加えて、歴史あり、文化あり、そして料理にワイン。日頃、あくせく動き回っている者からすれば、まさに別世界である。

 そのプロバンス、名前は古代ローマの属州のプロヴァンキアに由来しているそうで、歴史は古い。紀元前1万年ぐらいには、すでに人類が住んでいたという。数々の遺跡もあり、空間だけでなく時間的にも別世界に移動できるようなところである。

 また、プロバンスは、芸術の世界でもある。ゴッホ、ピカソ、ブラック、マティス、セザンヌといった「超」有名どころの画家達が活躍した場であり、またドーデをはじめとして多くの作家も訪れている。セザンヌと言えば、サント・ビクトワール山だが、プロバンスの中心にあるエックス・アン・プロバンスのすぐ東には、この山がその特異な風貌を見せている。プロバンスの持つ独特な雰囲気が、芸術家たちを刺激して、個性豊かな作品を育てることになったのであろか。

 さて、このようなよく知られている人々以外に、このプロバンスに深く関係している人物がいる。それは、ファーブルとノストラダムスだ。

 「ファーブル昆虫記」で有名なファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre)は、1823年12月21日にフランスのサン・レオンという村で生まれた。その後、いろいろな場所に移り住んだが、その92歳の生涯を閉じる1915年までの36年間を過ごした家が、プロバンスにある。その場所は、アヴィンヨンから北20キロほどのところのオランジュという町からさらに8キロほど北に行ったところにある、セリニャン(正確には、Serignan du Comtat)という村である。

 写真1

 ニースに住んだら一度はこの地を訪れてみようと思っていたが、思いの外早くこの希望がかなうことになった。家族3人で、プロバンスに行ってみようといことになったからである。

 地図を片手に、プロバンスの田舎道をこのファーブルの家を目指して車を走らせた。4月半ばの風の強かった日曜日のことである。田舎道で車も少なく、道に迷うことなくファーブルの家に着いた。ファーブルの家は、彼によって「アルマス(Harmas)」と呼ばれている。これは、プロバンスの古い言葉でHermesのことで、耕されていない小さな土地のことを意味するそうである。

 このアルマスに到着してさっそく入ろうとすると、入り口に大きな黒い文字で「CLOSED」と書いてある。あれっ! せっかくここまで来たのに、これで引き返さないといけないのか? そう思って、門の中を覗いていると、1人の初老の男性が庭を散歩していた。とりあえず、“ボンジュール!”と声をかけてみると、気が付いて門のところまでやってきた。“ニホンカラデスカ?”“イ、イエス。”日本語が急に出てきたので、とっさに対応できずに、英語で答える。フランス語、日本語、英語が混ざった変な会話。

 この後、片言のフランス語で、今日は見学できないのかと聞いてみると、まあ中に入れと言う。どうしてCLOSEDなのに中に入れてくれるのか分からなかったが、家族3人で入れてもらう。

 まず最初に通されたのが、狭い階段を上った2階の部屋。ここに入って、まず非常に多くの貝の標本に圧倒された。壁際に4段ほどの棚があるが、その棚一面に貝の標本が置いてある。また、その棚の上には、植物の標本が入っていると思われる分厚い紙の束が、端から端まで載せてあった。もちろん、昆虫の標本もある。また、壁には、カニの標本もかかっていた。ファーブルが使っていたと思われる、小さな机も置いてあった。写真を撮ってもいいのかと聞くと、フラッシュを使わなければいいというので、数枚撮った。

 写真2

 次に通された部屋は1階にあったが、今度は壁の全面にキノコの水彩画が飾られていた。非常に繊細なタッチで描かれているものである。7百枚ある水彩画のうちここで展示されているのは3百枚だという。この部屋には、著書も沢山置いてあった。“ヒャクサツノ ホンガ アリマス。” また、日本語で教えてくれた。さらに、ファーブルが作曲した曲の譜面やダーウインなどからの手紙なども展示されていた。変わったところでは、コインのコレクションもあった。

 それと、日本で紹介されることが多いらしくて、ファーブルについての日本のポスターが沢山貼ってあった。だから、案内してくれた老人がかなりの日本語を知っているのだろうか?

 最後に、このアルマスの庭を散歩させてもらった。かなり広い庭で、多くの植物が植えられている。現在でもよく手入れされているようで、花々もきれいに咲いていた。ここでファーブルが昆虫の観察をしていたのだ。

 最後にお礼を言って、アルマスを後にした。ファーブルは、昆虫以外にもいろいろなことをしていたということは知っていたが、これほどまでとは思っていなかった。ファーブルというと「昆虫記」がすぐ思い浮かぶが、これはほんの1つの側面にしか過ぎない。

 その昆虫記で思い出したが、山田吉彦氏の訳による岩波文庫の昆虫記の第一分冊には、訳者自身が「ファーブルの旧地を訪ねて」という紀行文を書いている。それを改めて読み直してみると、アルマスの様子はそこにかかれているものとほとんど変わっていなかった。この昆虫記第一分冊の第一刷の発行は昭和17年11月25日になっている。太平洋戦争が始まって2年目の年だ。従って、訳者がアルマスを訪れたのはそれよりもかなり前のことであろうか。プロバンスでは、時間がゆっくり流れているのであろう。唯一、違っていた点は、入場料。現在は15フランであるが、山田吉彦氏のときは2フランだった。

 ファーブルの話で長くなってしまった。もう1人のノストラダムスについてであるが、今度はアビニョンの南の方にある町が関係してくる。まず、アビニョンの南15キロくらいのところに、サン・レミ・ド・プロバンスという町があるが、ノストラダムスはここで生まれた。現在もその生家は残っており、そこには「1503年12月14日にここでノストラダムスが生まれた」ということを刻んだプレートがかかっている。ただし、家の方は荒れ果ててしまっているようで、扉は固く閉ざされていた。

 写真3

 さらにそこから南東に30キロほどのところに、サロン・ド・プロバンスという町があるが、こちらにも「ノストラダムスの家」というものがある。こちらは、ノストラダムスの終焉の地(1566年没)ということで、晩年の19年間過ごした家が残っている。この家にもそのことを記したプレートがかかっているが、ここは現在はノストラダムスについての博物館となっている。

 さて、このファーブルとノストラダムス。時代もやったことも異なる2人であるが、筆者にとっては不思議と関係している。まず、筆者が自然に興味を持つようになったきっかけが幼い頃に接したファーブル昆虫記であった。また、その結果、天文の世界に足を踏み入れることになり、現在では小惑星の地球衝突などということについても関わっている。天体の衝突というと、その信憑性はともかくとしてノストラダムスの1999年の「予言」というものを避けては通れない。つまり、筆者の過去と現在に関わる人物が、時代こそ違え、プロバンスのそれもアビニョンを中心に半径40キロ程度の非常に限られた領域でその生涯を終えたのである。そして今自分がそのそばで暮らしていると思うと、何か感慨深いものがある。

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写真1 セリニャンの街の中心にあるファーブルの銅像

写真2 ファーブルの貝の標本などが沢山おいてある部屋

写真3 ノストラダムスの生家(サン・レミ・ド・プロバンス)

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      「ムール貝ポテト添え」と「小惑星地球衝突」

 5月のはじめに、「太陽系から太陽系外惑星まで」と題した、エコール(スクール、勉強会)が開かれた。これは、主にフランス国内の研究者や学生が集まってきて、互いの話を聞いたり議論をしたりしながら勉強するというものである。当然、言葉はフランス語なのだが、「無謀」にも筆者も参加してきた。

 勉強会の内容についてはさておいて、期間中に開かれた一般向けの講演会について。そのテーマは、「小惑星の地球衝突」ということで、やはりフランスでも天体の地球衝突は一般の人たちにも関心があるようだ。講演は、若手の研究者であるパトリック・ミッシェルが行った。「地球に接近する小惑星の軌道解析」というテーマで、つい最近博士号を取ったばかりだけあって、テンポよい話で聴衆をひきつけていた。話の内容は、小惑星の軌道や運動と、その地球衝突の可能性や実際の衝突例、それにどのような対策があるかなどである。

 さて、表題の「ムール貝ポテト添え」がどうしてこの「小惑星の地球衝突」に関係があるのかだが、関係は全くない。実は、関係が全くないからいいのである。ミッシェルが講演を始める直前に、彼に与えられた言葉がこの「ムール貝ポテト添え(moule frites)」。彼は、講演の中でこの言葉を使わないといけない。どう考えても小惑星の衝突ムール貝ポテト添えは関係ないが、なんとミッシェルは3度もこの言葉を使って、みんなから喝采を浴びていた

 勉強会の中での講義でもこのゲーム(?)があった。ちなみに、その時の「お題」としては、「連星系における惑星の安定性」という講義に「caramel mou:柔らかいカラメル(デザートの名前?)」、「木星型惑星の構造論」という講義に「as de trefle:クラブのエース(トランプ)」。それぞれ、非常にうまい具合にこれらの言葉を講義中で使っていた。こういうことで日頃から言葉を鍛えているので、フランス人は議論好きなのかも?


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