あすてろいどスペシャル

衝突と気候変動、及び、絶滅と文明盛衰

   (その1) プロローグ

                   地質調査所 古宇田亮一


1.はじめに

 小惑星の衝突を知らない人でも、島原の火山噴火の脅威なら知っている。火口からの爆発と火砕流に伴う熱雲に巻きこまれて、多数の人々が蒸し焼きにされた現場フィルムが伝える報道を見た人は多いだろう。イタリアに訪れた人なら、ベスビオス火山の麓、ポンペイ遺跡で激変の跡に思いをはせるかもしれない。

 又、小惑星衝突による大津波は知らなくても、奥尻島を襲った津波や、何10万人もの命が一度に奪われるバングラデシュ大洪水の報道には接することができる。

 過去に遡って、大事件の様相を見極めるためには、類推(アナロジー)を働かせることが大切である。その過去とは、我々の生きてきた時代ではなく、何世紀も前、何千年、何万年、何十万年も前、更に、何百万年、何千万年、何億年も前という、途方もない時間的広がりをもつ地質時代である。その案内人は、原子核が刻む時計、放射年代である。原子の時計に導かれて、今生きている時代では想像すら困難な、遠い過去の大事件の真相を知る船出にこぎ出してみよう。

 このシリーズでは、人類の生きた時代の大いなる災いから遡って、激変の真相と宇宙からの来訪者について探っていくことにしたい。

2.気候変動と文明

 産業排気ガスによる地球温暖化危機が叫ばれて久しい。しかし、気候学者たちは、むしろ地球寒冷化の影響を心配していた。気候変動は、歴史上の文明の盛衰に大きな影響があったようである。火山噴火によって、大気中に細かい灰やエアロゾルが増えると、太陽光が遮られて、気温が低下し、農業不振や食糧危機を招くことが知られている。1815年のタンボラ山(インドネシア)の噴火によって、翌年北米東海岸に寒冷化と食糧減少がもたらされたことをきっかけに、米国の開拓民たちが西部に移動し始めたことが知られている。

 しかし、少し待ってほしい。東海岸にヨーロッパ移民が押しかけて来たら、開拓民が圧力を受けて西へ移動し、原住民の土地を奪っていくのも時間の問題ではないだろうか。又、1816年頃、北米よりもタンボラ山に近いわが国には大した影響が見られていない。更に、噴火による寒冷化と洪水で、1816年にベンガルで大発生したコレラが、1823年にはイランに、1830年にはモスクワに、1831年にはロンドンやカイロに、そして1832年には北米東海岸に達したのも、元をたどればタンボラ火山噴火によるもの、と決めつけてよいのだろうか。地球の大気を媒介にした火山−気候−文明変動の因果関係は、それほど単純なものではないようである。

 それにもかかわらず、気候と文明の変動が数多く語られているのは、全地球規模で世界的同時性があったことと、実際に多くの文明が滅び、過去の記録が喪われて真相がわからなくなっているためである。1966年にアレクサンドル・ゴルボフスキーが「太古史の謎」という本を出版した(和訳「失われた文明」講談社現代新書)。この書物では、1万2千年前に大洪水が発生して海岸近くの古代文明が滅亡し、その言い伝えが各地に残されていることが述べられている。最近、我が国でも、沖縄の海の浅瀬に古代の石造建築物が沈んでいることが話題になったが、海水面上昇で亡びた社会があったことは事実であろう。後に、「太古史の謎」の内容は、興味本位の亜流著作を多く生み出し、近年ベストセラーになった翻訳物も散見される。しかし、1966年に指摘された事項については、実は、ほとんど解明が進んでいない。

写真1

3.失われた?文明

 ゴルボフスキー(1966)が注目したのは、世界各地に残る神話の記述であった。中でも、旧約聖書の激変記事である大洪水とノアの箱船が、世界各地で類似神話に伝えられ、しかも世界的分布に特徴があるという説である。

 ゴルボフスキーの説く、神話に残る激変と人類滅亡の記述は、中米を中心とする南北アメリカとアフリカ諸国の神話が最も過激である。チマルポポーカというアメリカ原住民の説話では天が地に接近する激変で、地上が岩で覆われた、とまで語る記述がある。同じく、北米キチエ族の説話ポポル・ヴフでは、海と空しかない激変が描かれている。ところが、ギリシアやシュメール、インドあたりまで来ると、「燃える神の落下」として、天体が空にあらわれたり、遠ざかったりするという程度しかなくなる。代わりに大津波が主体であり、大雨と大風で人類の大部分が死んだり(シュメール、エジプト)、世界は水に満たされる(リグ・ヴェーダ)という記述になる。それでも、洪水は山まで覆うほどだから、ものすごいものだったろう。支那(山海経、甲骨文)やアラスカまで来ると、低い水位の洪水が少々襲うというくらいに、規模がかわってしまう。太平洋諸族は、毎日が夜の暗い時代が続いたという程度にとどまる。共通するのは、予言者が現れ、船に乗って待てと伝え、少なくとも2人の男女が生き延び、山の頂上に船が乗り上げて助かることになっている。そこに鳥が現れ、虹が輝いていた、という細部に至る記述に共通性があるという。

 ここまでくると、ユカタン北のクレータのことかと戸惑うかもしれない。神話の絶対時間を決めるのは難しい。恐竜滅亡の時代に人類がいた証拠は見つかっていない(猿の祖先はいたらしい)。恐竜の足跡と共に見つかった「人の足に似た5本指の足跡化石」というのが北米の銀行の貸金庫に保管されているそうだが、河童のミイラによく似た話で、どこまで本当か不明である。

 ゴルボフスキーは、気候学者が大きなテーマとしている最終氷期前後の紀元前1万年前に注目し、当時わかっていたいくつかの事実を神話の発生に結びつけ、それを小惑星衝突と関連づけたかったようだ(よく読むと、必ずしも断言しているわけではない)。事実というのは、12,000前に人類居住跡の断絶がある遺跡がいくつも見つかっていることと、12,000年前から15,000年前の大規模な火山灰層のことである。近いところでは、周口店遺跡に氷期を生き抜いた人類遺跡が断絶している跡があり、有名なものでは、クルドのシャンデル洞窟に10万年以上連続した人類居住跡が12,000年前に断絶した跡があり、イギリスや北欧でもつとに指摘されていることである。逆に、文献に残された暦の開始時期を見ると、インドの太陰太陽歴はBC11,652年が出発点であり、マヤ歴周期2,760年の区切りBC11,653年や、エジプト太陽暦周期の1,460年がBC11,542年を区切りとすること、アッシリア歴等に異変開始年の類似点があるという。歴史地図でも、1,532年のフィナウス地図にほぼ正確な南極地図が描かれている等は説明が難しいという。ゴルボフスキーは約1万2千年から1万5千年前に滅亡した古代人の知識がいくつか残され、天文に詳しい人(神官?)が小惑星衝突を言い当て、ごく少数のものを船に乗せて助けた、というシナリオを提示している。

 箱船に乗ったノアたちは、その後、洪水が引くと共に、今のイエメン地方に落ち着き、「シバの女王」国として交易で栄え、6世紀に滅亡するまで堅塁をよく守ったことになっている。シバ王国は貿易風の知識を秘密にして世界各地に商船を繰り出して栄えた。イエメンの都アデンは聖書のエデンのことを指すという。マホメットがイスラム・アラブを起こすのは、シバ王国滅亡の次の世紀になる。サラセン科学の起源がイエメンにあったという説もある。しかし、イエメンの起源を1万2千年前に遡ることは、まだ解明されていないことである。このように、ゴルボフスキーが提起した多くの課題は残されたままである。

 古代人をあまり軽視することはできない。古代シュメール人は、中世ヨーロッパが達成できなかった小麦の大量収穫を実現して現代に匹敵していたし、数学と化学も盛んで、電気メッキやアルミニウム製造もある程度できたらしい。電池の遺物が各地に残されている。彼らの楔形文字文書には、進学予備校の成績に悩む生徒や、太めに苦労している中年女性、妻子との人間関係に悩む夫など、驚くほど現代的テーマにあふれた記述がある。ものの考え方ばかりでなく、社会運営や政治活動にも現代と共通するテーマが残されている。記述からして、多分、気球で空も飛んでいたものと思われる。

写真2

 では、古代にとんでもなく高度の文明が栄えていたり、小惑星が衝突しなければ説明がつかないほどの激変があったかというと、やはり、少しおかしいのである。洪水は、温暖化による海面水位上昇と、気象変動による大雨、雷等の組合せでも説明がつくし、12,000年前から15,000年前の火山灰は、何の不思議もない大規模火山活動によるもので、最終氷期を維持した原因とも言われていた。自然現象としては、実は、かなり多くが説明がつくのである。人類は恐竜のようには滅亡していない。古代の南極地図にしても、全世界を航海できる実力と気象知識のある商業国家に不可能ではない。それが、紀元前だとしても、特に奇異に思う必要もない。支那・明代の商船隊の記録はわずかに残されているが、そのシステムを作り上げた元代の世界商船隊の記録は、太祖・朱元璋が抹殺してしまったため残っていない。それとて、イスラムからもたらされたものと言われている。多くの文明の記録は失われてきたし、技術的に可能なことは実現してしまうかもしれない。何も、神を持ち出す必要はないのである。大切なことは、再現性の確保された事実を見つけ、科学的に検証することであろう。

 しかし、そういってしまうと、実も蓋もなくなるので、次回からもう少し、文明崩壊と生物絶滅の様相を、地球システム変動の観点から見ていくことにしよう。(続く)

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写真1:アール・ダア(アララット山) ノアの箱舟は現在のトルコ東端に位置するこの山に漂着したのだという。標高5165mの頂はいつも雲に覆われている。(トルコ東端、ドウバヤズットの町から Photと文 松島)

写真2:ノアの箱舟の遺跡?(中央部の隆起した部分) アララット山の近くで1985年に発見されたというのだが、どのようにして実証されるのだろうか。無関心に草を食む羊が印象的。(ドウバヤズット近郊から Photと文 松島)

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