ニース天文台の12カ月 -最終回-

    フランス社会の特質、および後日談(抄)

                      吉川 真(ニース天文台)


 1年間のニース滞在もあっと言う間に終わってしまいました。この1年間、「あすてろいど」には「ニース天文台の12か月」ということで、拙いエッセイもどきを書かせていただきました。皆さんには、楽しんでいただけたかどうか心配です。さて、すでに帰国して3か月。日本の生活のペースに完全に戻ってしまいました。やはりニースでの生活の方が、精神的に余裕があったように思います。このエッセイの締めくくりとして、フランス社会について感じたことを簡単に記しておこうと思います。また、後日談として、今まで書きましたことについて捕捉しておこうと思います。


 予定通り、365日間のフランス滞在が終了した。たった1年間の滞在では、フランス社会について論じることはできない。特に、筆者のようにフランス社会を勉強しに行ったわけではなく、天文学の研究に行った場合はなおさらである。天文学のような自然科学は万国共通と言ってよく、そこに「文化」が入り込む余地は少ない。

 それでも、単なる旅行ではなく1年という期間にわたってフランスに住んだわけであるから、やはり日本との文化の違いは感じた。一口に文化の違いと言ってもいろいろあるが、ここでは特にフランス人の気質について触れてみることにしよう。

 フランスは、何と言っても「個の社会」である。自分が他人と異なっていても、それを気にすることはない。日本社会のように、「他人の目」を第一に考えるようなことは決してしない。また、他の人が何をしていようとも、自分に関わりのない限り干渉することもない。この点で、日本社会とは本質的に考え方が違うのである。よく言われているように、日本社会が均質なものを好ましいとするのに対して、フランス社会はそもそも「多元性」の社会なのである。

 パリで発行されている日本語の新聞であるフランス・ニュースダイジェストに、このフランス社会の多元性について安部雅延氏のコメントが載っていた(1997年7月4日号)。それによると、フランスの『民族、イデオロギー、文化の多様性は欧州諸国以上』とのことだ(以下、『』は安部氏の言葉を示す)。そして、『フランス人は人間にとって何が幸福なのかを求め続け、多様な個人、多様な小集団が人間らしい生活を営もうと葛藤している』というのである。

 まさに、その通りであるような気がする。フランス社会を一口に言えば、「個性の社会」であり「自己中心的な社会」なのである。よく、「フランスは好きだがフランス人は嫌い」というような言葉を耳にするが、これはフランス人の自己中心的な側面のためなのであろう。別の言葉で言えば、それだけフランス人がいかに生きるかということに強く固執しているのである。

 安部氏は、また次のような言葉でも表現している。『アメリカ映画は勧善懲悪でわかりやすく、常に最後には善が勝ち、清涼飲料水のように爽やかだが、フランス映画は善悪は曖昧だし、人間の矛盾や愛憎が描かれ、混沌としたまま終わってしまう。』『本当はフランス映画の方に人間のレアリテ(現実味)があるわけだが、人は清涼飲料水の方を好み、「混沌」を好むフランス人を不思議に思う』と。

 この違いを単なる文化の違いとして片づけてしまえばそれまでなのだが、これからの日本社会のありかたを考える上で、このフランスの価値観から学ぶべき事が沢山あるのではないだろうか。もちろん、フランス文化の方が日本文化よりもすぐれているわけではなく、またその逆であるわけでもない。大切なことは、様々な先入観や思いこみ無しに全く別の価値観に触れてみて、そこから何か感じ取るものがあるかを個人個人で確認してみることであろう。

 フランス滞在中、日本から届くニュースには、青少年による凶悪な事件や総会屋、金融機関の倒産など暗い話題が多かった。もちろん、明るい話題も沢山あったのだろうが、日本という社会がだんだんおかしな方向に向かっているようで非常に気がかりになった。やはりこのあたりで、生きることの意味というものを改めて考えなおしてみる必要があるのではないだろうか。

 そう言えば、1つだけ嬉しかったニュースもあった。それは、日本のサッカーのワールドカップ出場が決まったことである。このために今年はフランスが特に注目されているようであるが、この機会に、表面的なフランスだけでなく、フランスで生きている人々の考え方にも触れてみてはどうだろう

 話が少し堅くなってしまった。最後に、後日談として、いくつかエピソードを記して、このエッセイを閉じることにしたい。

◆ストライキ(18号:囲み記事)

 ニース市内のバスが1997年2月に半月以上にわたってストでストップしたが、私のように1か月定期を買ってバスを利用している人にとっては、半分以上ムダになってしまった。そのせいか、続く3月についてはバスの定期券の値段が半額以下になった。これで、ストによる損失を「補填」した?

 ストといえば、11月初めにはトラックなどの運送関係のストライキがフランス全国的に行われた。このようなストがあると、スーパーに品物が無くなったりガソリンなども無くなるといういうことだったが、果たして11月の最初の週は、ニース市内のガソリンスタンドからガソリンと軽油が無くなってしまった。みんなが車にガソリンを入れてしまったので、売り切れ状態になってしまたのだ。それでも不思議なことに、街中はパニックになるどころか、平穏そのもの。日本でなら、大パニックになるところだが。

      

        ガソリンの値段がタダ!?

        いえ、運送関係のストライキのため、

          ガソリンが売り切れなのです。

 同じ11月初めには、天文台方面に行くバスもストライキに入ってしった。2月のバスのストのときは、ニース市街を歩いて通勤したが、このストでは天文台がある山(標高は300mか400mくらい)を歩いて登り降りすること3週間。非常に健康的

 さらに、12月2日(火)からはついにテレビ局もストライキに。画面にはテストパターンしか写らない。このテレビ局のストライキ、帰国した日(12/8)の朝まで続いていたので、いつ終わったかは不明。

       

         ニース天文台前のバス停

◆たまごっち(19号:囲み記事)

 日本で流行ったたまごっちだが、フランス(というかヨーロッパ)でも大流行した模様。結局、私のところも子供にたまごっちを買う羽目になってしまった。ニースのお店で買ったのだが、パッケージは英語でも、たまごっちに表示される文字はなんと日本語。日本のものをどこかで複製したものが売られていたようだ。1個、3千円弱だった。スーパーなどでも山積みとなって売られていた。

 ただし、こちらではたまごっちが売り切れてしまって手に入らないというような状況にはならない。また、最初から、オリジナルのヒヨコ以外を育てるものが出回っており、犬のものやDINOGOCCHIという恐竜を育てる(?)ものなどもあった。

 テレビでも、タマゴッチの特集をしていたし、天文台の人なども、かなりはたまごっちについて知っていた。フランス語でも、TAMAGOCCHIで通じてしまうところがすごい。

◆ファーブル記念館(19号)

 「あすてろいど」19号でファーブル記念館について紹介したが、ファーブル記念館にはその19号をお送りした。すると、すぐに返事としてきれいな蝶の写真の絵はがきが届いた。

◆滞在許可証(20号)

 「あすてろいど」20号の原稿を書いた時点ではまだ滞在許可証を発行してもらっていなかったが、その後、10月2日になって発行された。滞在許可証の申請にニース地方の県庁にあたるところに行ったのが1月3日なので、発行されるまでにちょうど9か月かかったことになる。提出した書類は最初から整っていたので、何故これだけ時間がかかったのか分からないが、滞在許可証の提示を求められたことは1度もなかったので、実質的には問題はなかった。ところが、この滞在許可証が威力を発揮したことが1度だけあった。それは、帰国時の免税手続きのとき。この許可証があるため、フランスの居住者とされて、免税にならなかったのである。このための許可証だった?

         ニース天文台の若手研究者たち

 ということで、いろいろあったが、とにもかくにも無事にフランス滞在を終えることができた。というよりは、気がつくと1年が過ぎていたというのが実感である。今では、ニースでの生活がまるで夢だったかのようである。この貴重な体験をさせてくれた、数多くの人たちに感謝の意を表したい。そして、再びニースを訪れる時を夢見て・・・

            (1998年3月21日:鹿島宇宙通信センターにて)

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      パリでも日本人はやはり日本人?

 フランス・ニュースダイジェストの投書欄に、パリの日本人は新参者の日本人に冷たいという投書が載りました。その後、続けざまにパリにいる日本人に対する批判の投書が掲載されました。パリの日本人が親切でないとか、日本人に意地悪をされたというような内容です。個々の投書の内容は別として、このような投書が多数あるということは、パリで生活している日本人の中には、かなりストレスが高い人が多いということを物語っているのでしょうか。

 確かに、海外で生活するということは、肉体的にも精神的にも疲れることがあります。が、せっかく日本ではできない体験をしているわけですから、そのメリットを生かした生き方をしないと、何のために苦労しているのか分かりません。パリで生活している日本人の中には、フランス人を意識しすぎて、フランス人以上にフランス人化している人がいるのかもしれません。また、パリにいても日本人なら日本にいるときと同じように振る舞って欲しいと期待する日本人が多いのかも知れません。でも、このようにパリに住んでいるということを特別視するようなこと自体が、日本的な発想のではないでしょうか。

 フランスは「個性の社会」ですから、結局、自分の思うとおり自然に振る舞うことが、フランス人社会に近づくための近道のような気がします。フランスで生活している限り、フランス人らしくなるとか日本人でなければいけないとかいうようなことを意識する必要はないと思います。


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