今月のイメージ             


  車がない
  ワープロがない
  ビデオデッキがない
  ファックスがない
  パソコン インターネット         見たこともない
  けれど格別支障もない

 そんなに情報集めてどうするの
   そんなに急いで何をするの
     頭はからっぽのまま

 茨木のり子著「依りかからず」(筑摩書房刊)の中の、「時代おくれ」という詩の一節である。年甲斐もなく、日頃こよなくコンピュータを愛し、情報をせっせと集めてはハードディスクに貯めこみ、関連雑誌を見ては、新機能の機種に恋い焦がれる。コンピュータ無くして、何もできない生活に埋没し、持って生まれた自分の頭は、入出力インターフェースの役割しかしていないなことをうすうす感じている身にとって、この詩は、真実、心にしみる。
 コンピュータ埋没の生活は、しかし人間社会の隅々まで行き渡り、日頃、コンピュータを忌み嫌っている人でも、2000年問題などという、わけのわからない脅威におののきながら、新しい年を迎えることになってしまった。

 どうもこういう新種の、さし迫った脅威がはばを利かせた昨年であったが、もっと悠久の脅威、“天体衝突の脅威”に関しても、いろいろと動きのある1年であった。この問題を主題にした何本かの映画が封切りされたことも、一般の関心を高める結果になったかもしれない。しかし、何といっても、美星スペースガードセンターの建設が順調に進み、日本スペースガード協会(JSGA)の法人化が実現したことは、この問題にまともに対処しようという動きの中での、画期的な前進であった。

 そしてもう一つ、国際的な動きとして、“トリノスケール”の国際天文連合(IAU)による採択がある。天体衝突による災害というものを人類は経験していない。ただ、幸いにも人類に授けられた英知は、実際に経験したことだけでなく、人類発生以前、あるいは地球の誕生以降の歴史にいたるまで、理解しようと試みてきた。その結果、地球の進化や、地球上の生物進化にも、天体衝突が大きくかかわっていたのだという認識が広まってきたわけである。百万年とか、一千万年という時間のスケールで考えれば、大きな天体衝突も、めずらしい現象ではなくなり、観測が進むにしたがって、今でも地球の近傍を、かなりの小惑星や彗星が通り過ぎていることもわかってきた。天体衝突はこれからも起こりうるし、実際、1994年に起こったシューメーカー・レビー9の木星衝突は、記憶に新しいところである。
 それでは地球に接近する新しい天体が発見されたら、それをどう公表したらよいのか。上記のような地球や生命の歴史について、いつも考えている人間と、いきなり衝突災害の話を聞いた人間とでは、そのような天体の認識について、大変なギャップが生まれてくる。このギャップを踏まえて、不必要な恐怖感を煽ることなく、しかし、人類に致命的な被害を及ぼす可能性もある天体衝突の脅威について、一般の人に正確に認識してもらうための尺度となる。トリノスケールに課せられたミッションである。
 確かにそのようなものが簡単に作れるとは思えない。実際、この内容と運用については、本号にも特集したように、多くの検討課題が残されている。これからの具体的運用と改良を重ねて、少しずつ良いものにしていくことになるであろう。それにしても、とにかく天体衝突問題について、本格的に取り組む地盤が着実に整備されはじめた1年であったということができる。

 このエッセイを書いている最中に2000年を無事迎えることになった。電気も水も無事供給されている。とにかく無事であるのは、幸いであった。それにしても、次々と新種の“脅威”が現れるものである。現在騒がれている多くの環境問題も二、三十年前には予想もしなかったことである。これでは“天体衝突の脅威”など、ますます影が薄くなってしまうのではと、いささか心配になる。今年もまたまた新種の脅威が現れてくるのだろうか。“新しい脅威の出現”という脅威を予測する、何か定量的スケールが必要かもしれない。    
                       (由紀 聡平、 イメージはJona)


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