特集 トリノ(Torino)スケール(4)

          トリノスケールの決定過程

                    磯部 しゅう三(日本スペースガード協会理事長)


 12月28日に松島編集委員長との電話において、今号での“あすてろいど”の特集内容を聞き、その詳細な議論の末、トリノスケールの決定がどのようになされたかを手短に書くように指示された。他の方々の原稿割付が終わった後なので、ここで意見を述べることはできるだけ差し控え、事実関係を中心に書くことにする。

 6月1日〜4日のトリノ会議の中で、2日目に、R. Binzelによって、トリノスケールの提案がなされた。私とイギリスのB. PeiserとM.Bailie、アメリカのB.Marsden等から反対または重大な疑念が示された。そこで、この取り扱いは2日目の夜と3日目に各個人間で話し合って、最終日の4日目に結論を出すことになった。その間、私はBinzelに私の反対理由を述べた。4日目にはBinzelは一足先に帰国してしまっていて、残ったIAUのNEO WGの委員長D. Morrisonを中心とするアメリカグループとイタリアグループが強くトリノスケールを支持し、私達は少数派であったが、かなり強く抵抗した。そこで、D. YoemannsがIAUの組織委員会の提案書の形でまとめ、それをWG内でInternetを通じた議論をして、合意した内容をWGの最終案とすることになった。

 Yoemansからの提案がInternetで送られたのは、5週間後の7月12日であった。私はこの時すでにWienでのUNISPACE III(国連による宇宙利用会議)に出発しており、7月31日に帰国してそのmailを見た。私は1週目は“Preserving the Astronomical Sky”、2週目は“Teaching of Astronomy”に元委員長、現副委員長の資格で出席していた。3週目は、“NEO”及び“Space Debris”の1日ワークショップに出席した。その間、IAUの総書記のJ. Andersonに協力して、UNISPACE IIIにおける加盟国政府代表者会議に私達のそれぞれの会議のそれぞれの要望書を作成する作業をしていた。

 2週目の7月22日にIAUの副書記長のH. Rickmannが“Symposium on Explorationof the Solar System”の会で、トリノスケールの話をした。NEOの会議で話されなかったこともあるが、迂闊なことに私はこの発表がIAUの決定事項を国連によって承認してもらうための提案であることに頭が到らなかった。(Rickmannが忘れた資料などの準備を手伝ったりしていたが。)
 IAU WGとIAU EC(組織委員会)の2つの承認がたった10日間でなされたことになる。ここで1つだけ私の意見を書くと、このような大切なテーマを反対者のいた中でそのような短期間に決定したという事実は問題と思う。

 IAU WGは私も含め、18名がメンバーである。IAU ECの決定は、Anderson,Rickman,Division IIIの委員長M. A'Hearen,Commission15と20の委員長V.ZappalaとRickmanの計4人で決定されたとのことである。その間、議長役のAndersonは私と同じようにWienにいたのである。

 私はWienからの帰国後、直ちにYoemansに抗議のmailを打った。しかし、何の反応も来なかった。そして、その後の多くのmailのやり取りを見て、12月17日に2000年8月にManchesterで開催されるIAU総会中にNEOのWGが、このトリノスケールに関しての
sessionを開催することをMorrisonに要求したが、C. Chapmanから“何故そのような馬鹿げた要求をするのか”というmailと、Binzelから“トリノスケールのことでNEO WGがもめていることが表沙汰になることは好ましくない”とのmailをもらった。

 さて、この事実の流れを見て、皆さんはトリノスケールについてどう感じられるであろうか。私達もトリノスケールに相当する方法を今いろいろと考えている。その内容はできるだけ次号で考え方の基本だけでも示したいと思っている。


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