特集 トリノスケールについて(6)

              JSGAでの議論


 「トリノスケールについて」と題する、あすてろいど28号(99-04)の記事をきっかけに、JSGA内でもトリノスケールの、特に運用に関連して、メールを通して活発な議論が起こりました。ここではそれを収録してみました。通読していただくと、主張の行き違いも見られることがわかりますが、それはそれとして、これらの発言を参考にしていただいて、皆様からのご意見を聞かせていただきたいと思います。参考のために問題にされている課題を整理すると次のようになると思います。
     1. 観測、研究成果の公表と、トリノスケールを基にしたNEOの公表について
     2. トリノスケールでのNEOの評価の仕方/運用について
     3. 組織(JSGA)としての意見・主張の仕方について
なお、出された議論のすべてを掲載できなかったことをお詫びいたします。

 議論の発端となった磯部 秀三氏の意見(あすてろいど28号、8ページ)の主な部分をここに再録しました。

 トリノ・スケールは下の図のように地球に衝突する危険率を衝突のエネルギー(小惑星の半径にほぼ相当)と衝突確率の2つのパラメータで示したものである。0から10は表のような定義になっている。昨年と今年に衝突するかもしれないと騒がれた1997XF11と1999AN10はいずれは衝突確率は10-6前後であった。

 私は衝突確率は10-6という値ばかりでなく、10-2や10-3という値でも、一般に公表するのは基本的に反対である。特に衝突するかもしれない時が30年も40年も先のことであればなおさらである。10-6〜10-2の確率で衝突するとわかって、あと数年観測を続ければ、より明確にできるのである。1997XF11の時も1999AN10の時も衝突の可能性をマスコミが取り扱った直後に衝突の可能性が消えた。このようなことを繰り返していると、NEOの専門家は“狼少年”と同じ目で見られるようになってしまう。
 確かにトリノ・スケールは衝突問題の一つの指標となっている。しかし、専門家はその意味を理解できるかもしれないが、理科や数学をあまり好きでないマスコミの人々を含む一般人にとってはトリノ・スケール・1でも衝突するかもしれないということになってしまう。

 10-6−10-2の確率での衝突の可能性を見つけただけで、なぜ急いで公表したがるのであろうか。なぜ数年の継続観測を待てないのであろうか。私は発表者の名誉欲を強く感じる。私達NEO活動を進めている者は自己を犠牲としても人類の存続のためを思って努力しているのではないのであろうか。基本とすることは、自己の発見の業績よりも人類を守ることを主とすべきである。

 私達、日本スペースガード協会の活動の重要な一つは、広報活動である。トリノ・スケールを十分に理解してもらえる人を一人でも多くする努力を続けている。しかし、その努力の成果はまだまだである。そのような段階は私の示した考え方は重要である。

中村彰正@愛媛と申します。勤務先である久万高原天体観測館の公開用望遠鏡(60cm反射+CCD)を使用して、1994年からNEOの追跡観測を行っています。このメーリングリストが、以下のような私見を投稿する場所として適当かどうかはわかりませんが、会員のみなさんにも関係があることだと思いますので、一言述べさせていただきます。

近着のあすてろいどNo.28で、磯部会長がトリノスケールについて触れておられます。その中で衝突確率が低い現象を【一般に公表するのは基本的に反対である】と述べておられます(【 】内は磯部会長の文より引用。以下同様)。
そして1997 XF11や1999 AN10の例を挙げ、衝突の可能性があると公表した後で、すぐにその確率がゼロになった、という発表を続けていると、【”狼少年”と同じ目で見られるようになってしまう】と、その理由を説明されています。

私は、基本的にはバックグラウンドより有意に大きい確率で衝突が予想された場合、その情報は一般に公表すべきだと考えます。衝突の可能性があるのに、その事実が公表されなかった(あるいは、されない)ことがわかった時に、マスコミも含めて一般の人が抱く疑心暗鬼の方が心配だからです。少なからぬ人が、「天文学者は他にも重大な情報を隠しているのではないか」と疑うことを私は危惧します。

公表に伴う誤解が心配だったら、誤解を生まないような説明に努めるのが、私たち日本スペースガード協会の役目なのではないでしょうか?それこそが会則にうたわれている「これらの天体に関する(中略)啓蒙普及を図っていく」の意味するところだと私は理解しています。頭から【理科や数学をあまり好きでないマスコミを含む一般人】と決めつけて情報を公開しないのは、その責務を
放棄しているように思えます(【 】内の表現には差別的なニュアンスさえ感じます。報道関係の人が読んだら、決していい感情は抱かないでしょう)。情報の共有のないところに、啓蒙も普及もないと思うのです。

上記の「基本的に公表に反対」という見解が磯部会長の個人的見解なら、ここであえて私見を述べる必要はなかったかも知れません。特に問題だと思ったのは、磯部会長が上記の見解をCCNet(衝突問題に関心がある研究者のメーリングリスト)上に英文でも発表されていることです。そしてそれは、日本スペースガード協会を主語として書かれています。普通に読めば、それは協会としての公式見解と受け止められる表現です。私は(地理的に遠方のため)総会には出席したことはありませんが、会としてのこういった見解は、総会で了承されたものなのでしょうか?会の見解や、それに沿った活動内容に関して会員が了承しているのは、規約に明記された内容だけではないのでしょうか?こういった見解が外部に示されることには、危機感を覚えずにはいられません。

他の会員のみなさんはどのようにお考えでしょうか?

吉川(運営委員)@宇宙研です。
メール、どうもありがとうございます。

中村さんが指摘されていますこの問題は、非常に取り扱いが難しい問題です。正直言いまして、私もどうすべきなのか、迷っています。まず、衝突確率が明らかに大きいものが発見された場合には、公表すべきだと思います。問題は、

 (1) 衝突確率がバックグラウンドより大きいことは明らかだがほんの少ししか大きくない場合
 (2) 衝突確率は大きいが、その値が確定してない場合

の、2つの場合だと思います。

(1)について:
今ちょっとバックグラウンドの衝突確率の正確な値を忘れてしまいましたが、それが例えば100万分の1だったとします。そのときに、確率がちょっとだけ大きくて50万分の1の確率で衝突するというものが発見された場合、これは一般に報告する価値があるでしょうか? 確率的には2倍になっていますが、まあ、同じようなものです。通常の2倍も衝突確率が大きな天体が発見されたというとニュースになりそうですが、実際は単なる「誇大広告」のようなものです。

(2)について:
特に観測の初期段階では、小惑星の軌道要素の不確定性が大きいのが普通ですが、このような時には、観測が加わる度に軌道要素の値が変化します。そのような場合で地球に衝突しそうな天体があった場合、観測が1つ増える度に衝突確率が大きく変動することも起こり得ます。このようなときに、衝突確率を逐一公表していたのでは、やはり混乱のもととなりそうです。

中村さんが書かれていますように、「誤解を生まないような説明に努める」ことが最重要であることは確かです。もし、一般の人たちが、衝突確率というものを正しく理解してくれるのなら、上記の(1)の場合も(2)の場合もそのまま公表してしまって問題はありません。ただし、現状では、「確率」という概念が一般にはなかなか難しいものですので、(1)や(2)の場合についてそのまま公表してしまうと、単に混乱を大きくするだけのような気がします。もちろん、きちんと説明して公表すればいいのですが、マスコミ等は手短に
報道したがる訳で、なかなかきちんとした説明をすべて載せてくれないと思います。すると、「おおかみ少年」のようなこととなって、そのうちに一般の人たちが天体衝突なんていうことを相手にしなくなってしまうかもしれません。このような状況を恐れています。

いずれにしましても、情報は隠すべきではないのですが、公表してもそれが正しく伝わらなければ逆効果なわけで、このあたりが難しいところですね。講演会などを通じて、なるべく分かりやすくお話しする努力はしているのですが、世間一般の人に広く理解してもらうのは難しいですね。また、ご意見をお願いします。

宮川俊彦@コマツです。(自己詳細末尾)

古い会員ですが、専門外で、趣味でも、星や天文とは縁が無いんですが。「情報公開」に関しては興味有りますので、一言。

官庁関係にも言った事が有りますが、現在の様にインターネットを通じて情報交換を出来るように成った時代では極力、公開すべきと思います。これは、吉川さんも中村さんも同意見だと思います。 が、公開の仕方ですね。
昔、といっても、何時と言うのは難しいですが、日本の官庁内部の議論は記録が残ってて、必要と有れば部外者にもそれを閲覧出来た、と言うよりも秘密じゃなかった、時代が有りました。 そりゃ、当然ですね。

しかし、今回の議論の様に、マスコミが一知半解で部数(視聴率)稼ぎの無意味な報道競争を主とするようになってから、官庁は段々公開しなくなったと思います。それに浮かれる視聴者、購読者も悪いんですが。

で、どうするか?
時間が無いんで、簡単にしますが。私が官庁関係に提案しているのは、公開方式を二段階にする。

その1
たとえば、アンケート、科学実験の結果など、総て即時公開しちゃいなさい。そこには当然、専門家の議論が含まれますが、それも含めて。実験データにはバラツキもあり、時には、全く無視しても良いデータも混じってますが、それも含めて。かって、相撲で 物言い が付いた時、審判員が土俵上で議論しているのをオンライン公開したように。そうすれば、厚生省が AIDS の件で味噌付けたような事件は起こらないし、専門家も良い加減な事は言えない。 特に利権に絡んだような発言は出来ない。しかし、このオンライン全情報公開は普通の人が読んでも容易には理解できない、だけでなく、専門家だってどう判断するかは楽じゃない。 マスコミ、ジャーナリストがこれを読んで報道するのは構わないが、一致半解な報道をすれば当然、報道者の「誤報」となり、責任は明確になる。

その2
そして、必要に応じ、(慌てる必要はない) 専門家の解説情報を開示する。 この専門家はかなり水準も高く、慎重を要しますね。
で、更に詳細は URLxxx を見て下さい、って。今の asteroid 関連はこれに かなり近いと思いますが。

こうすれば、専門家の解説以前に総ての情報が開示されているから、下手な報道も、生半可な評論家も変な事は発言できない。 すべてを見てから、なんて、なまじっかな人には出来ませんから。

私も以前、研究所に居た時、自分の実験で得た生データ、現場メモも含め、は後日、他の人が解析する時の事を考えて極力全部報告書に添付として残しました。
何時でも他の人の批判に答える、と言うのが科学者(だけでもないが)の立場だと思います。
・ただし、何事も例外が有って、捜査中、内偵中、対外折衝中の国家機密、私的な裁判など公開してしまったら意味の無い物も有りますね。
以上

         軌道要素の精度を考えよう

                        長谷川一郎(大手前女子短期大学)

 中村彰正さんが提起されたご意見に関連して、一言、申し上げたいと思います。

 磯部 秀三さんが「あすてろいど」28号の8頁本欄に書いておられるように、小惑星や彗星が発見されると、僅か2,3日間の位置観測を用いて暫定的な軌道要素が計算されます。この軌道は、短期間の追跡観測には役に立ちますが、この天体が地球に衝突するかどうかを議論することは精度が不足しています。
 従って過日のように、そのすぐ」後の新しい位置観測を用いて軌道要素が改算されると、最初の予想が大きく変わることになります。ですから、得られた軌道の精度をよく考えた上で、将来の予想をするには十分慎重にすることが必要です。
 ある軌道要素から得られた予想の精度を推定することは簡単ではありませんが、最近、G.Sitarskiが次の研究を出版していますのでご参照下さい。しかし、あとの論文で、使用するコンピュータの計算精度についてコメントしていますが、これはまた別に十分検討すべきことでしょう。

Motion of the Dangerous Asteroid 1997XF11, Acta Astronomica, Vol.49, pp.103-112, 1999.
"How to find an Empact Orbit for the Earth-Asteroid Collision, Acta Astronomica, Vol.49, pp.421-431, 1999

 それともう一言。地球に衝突すると予想される天体の大きさについて、よい情報が欲しいものです。流星は毎日のように、隕石も毎年いくつか地球に衝突しています。小さいものは数が多いから、このことは当然のことでしょうが、NEOの数や空間分布はまだよくわかっていません。今後の観測と研究に期待したいと思います。


 29号の目次/あすてろいどのHP