美星スペースガードセンターからの報告


  美星スペースガードセンターからの自己紹介

 美星スペースガードセンターに新しく加わった4名の方々に自己紹介をお願いしました。

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BATTeRSのメンバー+α。

美星スペースガードセンターの制御室にて。

  

前列左から、横田、浦田、豊川、磯部、浅見。後列左から、大島、吉川、寺薗、中野、橋本。(敬称略)

  

             NEOに遭遇したい
                                   浅見 敦夫

 はじめまして、このたび BATTeRS のメンバーとして美星スペースガードセンター(BSGC)で観測をすることになりました浅見敦夫です。これまでは、アマチュアとして神奈川県秦野市の自宅観測所(IAU天文台コード355)でハレーすい星でおなじみのすい星や火星と木星の間を回っている普通の小惑星の観測をしてきました。
 BSGCの活動目的のひとつにNEO(地球に非常に接近する小惑星やすい星などの天体)の発見、追跡観測があります。4年程前になりますが「1996 JA1」という小惑星が発見され、私も追跡観測を行いました。この小惑星、最接近の時には地球から月までの距離と同じくらいの所を駆け抜けて行きました。観測していても動きが速くて視野の中に留めておけなく、計算した通り道で待伏せての観測でした。直径500mの天体がですよ、少しずれれば・・・このNEOという地球にとても近づく天体に興味を持ちました。
今後、BSGCでは多くの小惑星やすい星を観測することになりますが、是非このNEOに遭遇したいと思っています。でも、あまり接近するのもこまりものですが。
なお、1996 JA1の画像は、私のWEB( http://www02.so-net.ne.jp/~aasami/ )にもあります。

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           「まっこと水を得た魚よのお」
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 JSGAの皆様、はじめまして。浦田といいます。このたび美星スペースガードセンターで観測を担当させていただくことになりました。どうぞよろしくおねがいいたします。
 1968年に当時地球に接近中の特異小惑星(433)Erosを湯河原にお住まいだった神田茂先生(元日本天文研究会会長で故人)のお勧めで写真観測したのが、私の小惑星とのお付き合いのそもそもです。その(433)Erosも今では探査機がクローズアップ写真を送ってくるご時世で、あれからもう30年以上の月日が経ってしまいました(歳がバレますね)。
 というわけで観測メンバーの中では不本意ながら最長老となってしまいましたが、こと観測にかけての熱意はほとんど狂気の域に達していて、「いまどきの若いもんなんに。。」といきまいております。幸い当施設においては観測また観測によって地球近傍の危険な天体のリストを作りあげるというのが最大の目標ですので、願わくば「うーむ。まっこと水を得た魚よのお」と言われるよう頑張りたいと思います。それでは観測がありますんで今日はこれ位で失礼させていただきます。

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    BSGC(美星スペースガードセンター)ただいま準備中
                      大島 良明
 初めて美星の地を踏んだのは、節分前の1月29日でした。
日本スペースガード協会のホームページで、BSGCの状況は事前に把握していたものの、実際に来てみると、なかなか立派な施設に感心するばかりです。当日は、BSGCの設備管理者である(財)日本宇宙フォーラムの面々を始め多くの方々が、2月からの施設仮運用の準備作業に追われておりました。
 肝心の望遠鏡は既に設置済みで、製作者であるTorus Technologies(米)の担当者は、既に帰国された後。直接、機器に関しての説明を受けることが出来なかったのは、大変残念でした。ただ1人残されたアメリカ勢は、コントロールソフト担当:Clear Sky InstituteのElwood氏のみ。彼は、望遠鏡コントロール用モニターの前に座ったままの作業ですが、余程仕事に熱中しているのか、エアコンが効いているとはいえ、大寒のこの季節に、半袖シャツ一枚でがんばっていました。「やはり欧米人には勝てんなあ」と、肩が凝るほど着膨れした自分の姿と比べて、つくづく感じたものです。前日、備中高梁のホテルで合流した観測者候補生と一緒に、後2日間、望遠鏡制御についての説明を受けました。機能満載の同ソフトが、果たして使い切れるのか、トンと無作法である米語の壁と重なって、益々不安になってきます。
 その後、2月に2週間、3月に2週間と、BSGCでの観測体制の準備を進めています。1m望遠鏡が設置される本年9月の本格運用までに、準備すべきことは山のように溜まっています。それどころか、観測術の習得とシステムへの理解が進むに連れて、当初気付かなかった問題が、次から次へと浮かび上がってきます。9月になったら一体どうなるのか?泡のように膨らむ問題と、4月からのセンター着任を前に、正に身の縮む思いです。
 美星の地を踏んで2カ月、現在、NEO発見の先頭を走る、米リンカーン研究所のLINEARチームに一泡吹かすつもりでやってきたのに、早くも逆に尊敬さえ感ずるようになってしまったのは、我ながらまことに遺憾の極みです。300(BSGCのIAUコード)が、MPCやIAUC上に話題を提供できるようになるまで、もう暫くは冬の生活が続くのでしょう。

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          人工衛星の追っかけは楽しい 
                                   橋本 就安

 私は人工衛星を追っかけるのが好きである。過去、スカイラブの落下、旧ソ連の原子炉衛星の落下騒動、中国の衛星落下などを追っかけたりした。マスコミもそれに引き込んで仲間にしたこともある。
 人工衛星の研究にのめり込んだきっかけは中学2年生の秋ごろだったと思うが、学校からの帰りに友人の家で遊んで、自宅に帰り着く頃には夕闇がせまっていた。自宅の門前でふと、空を見上げると明るい星が動いていたのだ。補助光も音も無いので飛行機でないし何だろう?ところが東の中空辺りでスーッツと消えてしまったのだ。今だったらUFOになったかもしれない。しかし、当時の私はそんな言葉は知らなかった。翌日も見えないかと待っていたら前日よりも約5分の差で現れたのだ。その翌日もである。そこで、正体が知りたくて学校の図書館で調べたが分からない。約3ヶ月後徳島駅前の本屋で天文雑誌に人工衛星の予報が載っておりこれだと思ったのだ。そして、人工衛星の観測と軌道計算がしたくて研究しようと思ったが、参考になる文献は少なく、独自で研究することになった。独自の円軌道の軌道決定法、予報計算プログラムの製作などやりました。1975年夏に人工衛星を観測しようと午前3時半に起きて白鳥座に新星を独立発見したのだ。これもきっかけで人工衛星の研究にさらにのめりこんでしまったのだ。当時の東京天文台の冨田弘一郎先生から軌道データの入手先を教えてもらい。アメリカのZIPSATというところから月100ドルで約55個の軌道データをもらっていた。
 ところが、この会社が倒産。思い余ってNASA(アメリカ航空宇宙局)にエヤーメイルを出したが返事は来なかった。2回目、3回目から観測データも同封して軌道データを送ってくれるようにお願いしたが、返事がきて『そういったサービスは行っていない』と書かれていたが、それでも観測データとか人工衛星を観測する会LATの会報を毎月送っていた。その甲斐あって1983年に10日間だけ地球周辺を回っている人工衛星の全データを送ってくれた。その半年後にまたエヤーメールで観測と落下予測などをしたい旨を書いてからは毎日のように軌道データの入った分厚いエヤーメイルが届いたのだ。その後、NASAの予算削減でパソコン通信から今ではインターネットで軌道要素をもらっている。
 今回、美星スペースガードセンターでのスペースデブリの観測は非常にうれしくて時間も忘れて追っかけております。人工衛星の追っかけがこんなに楽しいものとは思いませんでした。



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