編集室から


 今年は梅雨の明けるかなり前から、暑い日が続いていますが、お変わりありませんか。実は、この「編集室から」を書いている時点から、実際に皆様のお手元に届くまでに、かなり時間がかかります。それでいつも現実からずれた時候の挨拶になってしまいますが、これはこれで、編集時の状況を記録するという意図もありますので、大目に見て頂きたいと思います。

 5月のはじめ、近くの千曲川河川敷で毎年行われているバルーンフェスティバルという、熱気球の競技会に出かけてみました。晴天に恵まれ、青空にそれぞれの気球が、鮮やかな色彩を輝かせながら、決められたポイント目がけて舞い降りてきます。しかし、その半分近くは、とんでもない方向にずれていってしまいます。実は、熱気球は飛行方向を制御する装置は持っていない、ということをはじめて知りました。バーナーによる加熱や、おもりの投棄で、上下方向の移動をしながら、目標地点の方向に運んでくれる風を探してそれに乗るのだそうです。

 「今月のイメージ」に登場したナスカの地上絵、これを当時のナスカ人は気球を使って空から見たのではないか、という仮説が出され、具体的な飛行試験も行われたということです。掘り出された当時の布を分析し、それに極めて類似した布を用いて、一辺が25mという、正四面体の大きな気球が作られました。また、人間の乗る吊り籠は、チチカカ湖に群生するトトラが使われました。トトラは、今でも住居や船、それに湖上に住むための浮島にまで使われています。

 薪を燃やしてでる煙を根気よく気球に吹き込む。やがて布地に付着した煤は通気を遮断し、暖まった空気が気球内に溜まっていく。何時間もかかってようやく暖気を充満させた気球は、二人の人間を乗せ、明け始めたパンパの空にゆっくりと舞い上がる。高度250mまで達した気球は、しかし、空気が冷えるとともに降下します。その飛行時間は数分間であったということです。しかし、内部空気の温度降下を十分補償するように、太陽熱を吸収できれば、長時間の飛行を思いのままにできるに違いありません。ナスカの強烈な太陽の光の中で、そのような条件を満たす気球を作ることは、十分できたかもしれません。

 時は千五百年ほど前、さまざまな形の、そしてさまざまな模様の気球が、このナスカの平原に浮かんでいる。はるかに広がる平原のあちこちに描かれた幾何学図形、動物、鳥、昆虫、そして人間の絵。これらの上を通過するたびに、それを確認する布を石に巻き付けて落として行く。決められた図形や絵の上を通過する気球の競技会。これは気球の飛行を可能にする気象条件の時を選んで、年に一度行われる。競技を面白くするために、ときどき新しい絵が描き加えられる。だから、大きな絵や小さな図形が、思い思いの方向を向いて点在するのです。無数に描かれた直線は?目標とする絵に飛行するときのガイドラインです。競技会の度に、それまでの経験をもとに修正するのです。だから、無数に描かれたように見えるのです。優勝した人は?生け贄となって、神に心臓を捧げるのです。ナスカの乾いた大地に雨の恵みを求めて。それは、真剣で、迫力のある、そして神聖な競技会だったのです・・・。連想は尽きることがありません。(後半の部分はまったくの思いつきですので、念のため)編集後記を書くべく、キーボードをたたき始めたにもかかわらず、毎度のことながら、とんでもなく横道に逸れてしまいました。

 今年2月の総会のとき、「スペースデブリについてわかりやすい記事を書いて欲しい」という要望が出されました。それに応えて、梅原さんが、解説を書いて下さいました。日頃の観測の経験を踏まえて、大変にきめの細かい、丁寧なものになっています。ありがとうございました。美星スペースガードセンターでは50cmが稼働しはじめ、まもなく1mの望遠鏡も納入されることになっています。センターの4名の観測員は、現在調整、観測にフル稼働しています。その最初の成果ともいうべき、人工衛星の観測結果を理事長の磯部さんに紹介して頂きました。もう、誌面がなくなってしまいましたが、今回も原稿やイラストで協力いただいた方々に感謝いたします。
                 (写真は佐久バルーンフェスティバル、 松 島)


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