皆既日食をガスカルで見よう

 世界のすみずみまで観光客を送り出している日本で、マダガスカルを旅するためのガイドブックが一冊も発行されていないということを、マダガスカルに出かけることになってから知った。ガイドブックを出しても採算があうほどには、まだ出かける人が多くないということなのだろうか。そういう私自身も、皆既日食というものがなかったら、いや皆既日食ツアーというものを企画するようなことがなかったら、一生出かけることがなかったかも知れないのだが。

 2001年6月21日、大西洋上からアフリカ大陸、そしてインド洋にかけて、かなり皆既時間の長い日食が見られるというのである。広大な大陸の限りなく広がる草原の中で、あの荘厳にして神秘なるコロナを、ライオンと一緒に見ることができるのだ。

 などというのは、世界を知らない人間の甘い夢。今回、日食帯にあたる地域の多くでは日々、紛争は絶えることなく続き、そこに住む多くの人達はまことに厳しい現実に直面しているのである。したがって、世界中から集まると予想される膨大な数の日食マニアは、かなり限定された領域に収束せざるを得ないということになる。しかし、それらの領域といえども、宿泊施設や交通手段など、観光インフラが十分整備されているわけではない。というわけで、いやしくもツアーなるものを企画するためには、事前の現地調査と現地手配が必須であるという結論になる。

 この計画を思い立ったのが昨年の夏、すでに日食当日まで1年を切っていた。そもそも日食ツアーなるものを企画するには、1、2年前から下見を含めて、十分な準備が必要であり、しかも経験が大きくものをいうのだそうである。急に思い立って企画したからといってできるものではない、という心をこめた忠告も頂いた。しかし、本格的天体物理学のための観測をするわけではない。見るものすべてを魅了するという、比類なき天体ショウに少しでも身を浸せることができれば十分なのだ、という、JSGAの真摯な姿勢からはいささか逸脱した観点から、実行を決断することにしたわけである。

 そうはいっても、アフリカ大陸の観測適地はすでにホテルは完全に押さえられ、とてもこれから入り込む余地はなさそうであった。残るは、日食観測という面からは幾分条件が悪くなるが、治安も比較的よいマダガスカルということになったのである。

 マダガスカル、モザンビーク海峡を挟んでアフリカ大陸に向かい合う大きな島。日本の1.6倍の面積を有し、独特の進化を遂げた動植物で、多くの人を引きつけてやまない。そのマダガスカルなら、これからでも入り込む余地がありそうだ、というのである。

 いささか無謀と思える企画を実施するにあたって欠かせないのは、熱意に加えて、強運である。熱意の方はフロンティアインターナショナルジャパンの佐山圭子さんが担当していて下さる。残るは強運。そしてそれとおぼしきものを確保できたのではないか、ということをうすうす感じさせてくれたのが、マダガスカル・サービスの浅川日出夫さんとの出会いであった。マダガスカル・サービスというのは、マダガスカルの首都、アンタナナリポ(通称タナ)にある旅行会社で、浅川さんはそこの社長さんである。アフリカに長く生活され、マダガスカルに来てからもすでに6年、マダガスカルについても、すみずみまで知り尽くしている。タナの郊外に社屋を含めた豪壮な邸宅を構えられ、現在20人の人がそこで働いている。今回のツアー企画では、現地の手配、情報提供など、全面的なサポートを頂いている。観測地の下見調査の出発を前にして、その豪邸で、大変に豪勢な昼食をご馳走になった。


図上:バオバブ街道、 

図下:ツアー下見調査の出発にあたって、マダガスカル・サービスの浅川さん宅で昼食をご馳走になる。