今月のイメージ


 「そんなこと思ってもみなかった」、「わかっているつもりでいたけど、一体どうなっているんだ」
といっても定年間近になって、突然奥さんから三行半を突きつけられて慌てふためく会社人間の男の話をしようというわけではない。探査機「NEARシューメーカー」が小惑星エロスを低高度でまわりながら送り続けるデータを前にしての、プロジェクトサイエンティスト、A. Chengの言葉である。

 ところで小惑星エロス(Eros/433)が発見されたのは19世紀も終わりに近い1898年8月である。じつはこの世紀のはじめ、すなわち1801年1月1日、最初の小惑星セレスが発見されている。したがってそれから約1世紀、発見された小惑星の数も数百となり、いささかもてあまし気味のところだった。しかし、エロスの発見はもう一度小惑星への関心を呼び覚ますことになったのである。理由の一つはその軌道の特異性、もう一つはその3年後の1901年に発見された変光現象にある。まず太陽からの平均距離が火星より小さかったのである。これは小惑星は火星軌道と木星軌道の間にある天体という、それまでの説を覆すことになってしまった。もう一つの変光現象の発見も、当時大きな論議を巻き起こした。変光はなぜ起こるのか、という当然の疑問である。しかも変光範囲が観測時期によって大きく異なったのである。

 それからさらに1世紀が過ぎた現在、エロスは再びわれわれを驚かせようとしている。特に不可解なのはエロス表面の様子である。もちろん表面を無数のクレーターが覆っている様は特に月や火星、あるいはこれまでに宇宙船が見た幾つかの小惑星と変わっていない。しかし、宇宙船が高度を下げて、すなわち分解能を上げた写真を送ってくるにしたがって、その分布の異常が明確になってきたのである。月面などの観測から予想すれば、クレーターの数は直径が小さくなるほど、多くなっていくはずである。エロスでも大きな直径範囲では確かにそのようになっている。ところが直径が100m以下となるとその数が激減するのである。一方、ボールダと呼ばれる、隕石の衝突で破砕された岩の塊(直径25cm以上の巨礫)となると実に大量にころがっていることが散見される。

 エロスというのは特異小惑星としての大きさは一、二を争うが、天体としては非常に小さなものである。。たかだか10m/秒程度の大きさでもその重力圏を脱出してしまう。少なくとも相対速度が秒速数km以上にはなると思われる天体衝突で生まれたものであるとしたら、そんなに小さな天体の表面に残っていることができるのだろうか。また、ボールダをさらに小さくくだいてしまうような、小さな天体の衝突をどうして受けないのだろうか。これはわれわれのよく知っている月面の様子からは、推測しがたいものなのである。
 一方、X線やガンマ線観測などから、エロスは一度大きな天体として成長し、地層が形成された後に破壊されたような天体ではなく、太陽系生成時の始源的物質で一様に構成されているらしいこともわかってきた。かつてメインベルトと呼ばれる木星と火星の間の小惑星帯で生まれ、成長したがそれほど大きな天体とはならず、そのうち天体同士の衝突で分裂し、やがて何らかの摂動を受けて現在の特異な軌道に移ってきた、というエロスの生い立ちが想像されてくる。ではこのような過程で現在のエロスの表面の様子が説明できるのだろうか。

 J.S.Bell(ハワイ大学)は、エロス表面に見られるクレーター分布の特徴の形成について、次のような仮説を提案した。すなわちメインベルトにおいては、100mより小さいクレーターを作るような小天体はほとんど存在しないというわけである。そのような仮説の裏付けとして「Yarkovsky効果」というものをもってきた。これは太陽光を受けて自転する天体に生じる表面からの非対称な赤外線放射が、その天体の軌道変化に及ぼすメカニズムのことである。この影響は直径が2,3mという小さな天体で最も大きくなるという。メインベルトではその影響で、100以下のクレーターを作るような天体はほとんどはじき出されてしまい、存在しないということになる。そのような環境で長く過ごしたエロスが、現在のような軌道に移ってそれほど長くは経っていない。現在の軌道は月と同じ環境であるが、滞在時間が短いために、その影響が明確に現れていないというわけである。

 この仮説にしたがえば、これまでに宇宙船が遠方から観測した幾つかの小惑星も、そばに寄ってみるとエロスと同じような表面になっているにちがいない。「夜目遠目傘のうち」というような探査では本当のところはわからないのである。といってもまだこれは一つの仮説に過ぎない。観測データの解析が進めば、さらに多くの説が登場してくるに違いない。もっと斬新で、楽しい仮説を皆さんも考えてみてはいかがだろうか。いずれにしても宇宙科学研究所の小惑星ミッションが待ち遠しくなる。ところで蛇足であるが、冒頭の会社人間の男、忙しいとはいえ夫婦であるからには「夜目遠目傘のうち」ではなく、「昼目近目傘のそと」の観測もしてきたはずである。それなのに事態をなぜ予測できなかったのか。実は観測を行う上で最も重要な、熱意と集中力の不足について冷静に見極める必要があるかもしれない。
               (エッセイ:由紀 聡平、イメージ:高部 哲也(リブラ))