クレーター探しの夢-1 |
真弓 昌三(栃木県西那須野町) |
手元に1枚の古びた月面図がある。昭和26年9月10日に地人書館から発行されたもので、東亜天文学会月面課
小島修介編著と記され、直径54cmほどの月が描かれている。私が高校生になった昭和25年に、北海道旭川市で北海道開発大博覧会が開催され、記念事業の一環として天文台が開設されて、五藤光学の15cmの屈折望遠鏡が設置された。その当時の小島修介氏は五藤光学で仕事をされていて、望遠鏡の据え付けのために旭川へ来られた。旭川にもあった天文同好会の例会に氏がいらして、同好会の会員であった私もお話を伺う機会があった。 小学生の頃から、私は「子供の科学」の天文記事に胸を躍らせていた天文少年で、中学生の頃には口径3cmの天体望遠鏡のキットを買って組み立てて、それを自作の木製の三脚に載せて、太陽や月や星を見始めていた。星を見るといっても口径3cmでは金星の満ち欠けが分かるくらいで、どうしても月を見ることが中心になる。望遠鏡で初めて月を見て、月面にちりばめられた大小さまざまな"噴火口"(当時はクレーターという言葉は使われていなかった)を認めたときの印象は、記憶には残っていないけれども強烈だったらしく、どうしてこのようなものが月にあるのかを、少年なりにあれこれと考えていたようである。 |
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![]() 旭川天文同好会“TheSky”第2号の表紙 |
同好会での小島氏の話はその噴火口の成因についてのことで、一般的には火山作用によるものであると考えられていたが、氏は月面に隕石が衝突してできた隕石孔である、といっておられたのが驚異であった。ちなみに、1951年版の天文年鑑の"月"の項には次のように書かれている。「成因に関しては噴火説と隕石説とが対立しているが、大多数の天文学者は噴火説に賛成している。凹口の中には隕石落下でできたものもあるかも知れないが、それは極めて僅かであろう。」 そのような折に、冬のある日に旭川市の中心部を流れる石狩川にかかる旭橋を渡っていると、川の中州の雪原にクレーターとそっくりな形をした孔がたくさんできているのを見つけた。除雪のために橋の上からスコップで雪を捨てた際にできたものである。これを見て、月の噴火口が実は隕石孔であるという小島氏の話は、本当であるように思われた。 その後、雪が積もった表面にどのようにすればクレーター状のものができるかを、自分なりに考えて実験してみた。屋根の上から雪面に物を落としたり、空気ポンプのホースの先を雪の中に埋め込んで空気を放出したりして、それらに基づいて考察したものを「月面の噴火口について」と題して、同好会の会誌 "The Sky" の第2号(昭和26年11月15日発行)に投稿した。この一文が小島氏の目にとまり、面白いことを考えているではないかということで、送ってくださったのが冒頭に述べた月面図である。小島氏がこの世を去られた今では、この月面図は私の大事な宝物になっている。 もちろん、雪面に雪の塊をぶつけることでクレーターの議論をするというのは、幼稚であるといわれても仕方がないが、岩石が高速で衝突する際の現象は、お皿のミルクに滴を落としたときにできるミルク・クラウンの現象によく似ている、つまり流体的な振る舞いを示すといわれているので、雪のような粉体で起こる現象でも、ある程度のシミュレーションは成り立っていると思ってもよいのではないだろうか。NASAのエイムズ研究センターで行われた超高速度衝突実験のようなことは、当時は望むべくもなかった。 |
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![]() G.ガモフの本“月”の表紙 |
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昭和29年に日本語版が発行された、G.ガモフの著書「月」には次のように書かれている。「現在、確実に打ち立てられたと思われる説によれば、月の噴火口は、大小さまざまの隕石が月と衝突することによって生じたものである。私達は地球の表面にも、それに類した生成物が若干あることを知っている。その最も有名なものは、アリゾナ砂漠にある隕石坑である。」 次の段階として、月面に隕石孔があるならば、地球上にも隕石孔があるのではないか、と考えるのは自然な成り行きであろう。前記の天文年鑑の"隕石"の項にも、オーストラリアで直径半哩の隕石孔発見、とか、カナダで直径4kmの隕石孔に水がたまったらしい湖発見、といった記事がある。それ以来日本にも隕石孔があるのではないか、それを見つけてみたいという、途方もない考えに取りつかれてしまった。私のクレーター探しの夢はここから始まった。 まず日本地図を広げて、円形の凹孔状の地形を探してみた。北海道の地図を見ただけでも、大雪山、屈斜路湖、摩周湖、支こつ湖、洞爺湖、クッタラ湖などが該当する。しかしこれらは、いずれも火山活動によるカルデラであることが、火山学者により検証されている。日本のような火山列島で地震が頻発し、しかも降水量が多いところは地形が変わり易く、どこかに隕石孔があったとしても、短時間のうちにこん跡が失われて、見つけるのは非常にむずかしいことのように思われた。 しかし、私が注目したのは、上記の火山のカルデラよりもはるかに規模が大きい、内浦湾、別名噴火湾である。大きいといわれる九州の阿蘇カルデラとか、鹿児島湾を形成する姶良カルデラよりも、一回り大きい円形凹孔地形である。 |