ついに出現,しし座流星雨!-2 |
◆流星雨 以来,アッシャー理論に興味をもった私は,2001年に東アジアで大出現するとの予測があったことから,その前段となる2000年の出現状況をインターネットの速報を通じて注意深く見守りました。そして,ヨーロッパとアメリカで目撃された3つのピークがすべてアッシャー予測と一致したとき,2001年の日本での大出現を確信したのです。 そして今年,アッシャー博士の予測通りに出現するであろう流星雨を最高の条件で見ようと,県内でも有数の環境にある高千穂町まで遠征しました。現地の天文同好会メンバーの案内でたどり着いた標高1200mの四季見原(しきんばる)は見晴らしと空の透明度に優れ,人工光の影響もまったくなく,おまけにこの日は月明かりもなく雲もないという絶好の条件でした。 しし座にある放射点が地平線上に姿を見せた23時30分頃には,明るく経路の長いしし群の流星が次々に飛び始め,早くも流星雨を予感させました。それからは退屈しない程度に流星が流れ続け,01時30分頃から本格的に撮影を開始。02時を過ぎた頃から空のどこかに休みなく流星が流れる印象となり,ストロボが光ったかのように夜空を照らす火球も出現するなど,ピークに向けいっそう期待が高まりました。 その後も流星数はどんどん増えていき,流星雨の様相を呈してきました。アッシャー予測による1699年放出ダストによる出現ピークは02時24±5分ですが,どこがピークか分からないほど流星が流れています。せっかく用意してあった夜食もそっちのけで,撮影と観望に追われる羽目に。 03時を過ぎた頃から流星雨はさらに激しさを増し,一度に2〜3個は珍しくなくなりました。アッシャー予測のこの日最大のピークは03時13±5分の1866年放出ダストによるものとなっていましたが,各地の観測結果を総合するとピークは03時10分〜03時20分頃だったようです。まさにアッシャー予測は「どんぴしゃ!」でした。 私はちょうどその頃,おおぐま座〜やまねこ座付近に同時に5個と一瞬遅れてもう1個流れる流星を目撃しており,立ち見姿勢で主に撮影領域を見ていたことから考えると視野は全天の3分の1くらい。だとすれば,1秒間に5個としても全天に換算すれば毎秒15個,1時間換算なら54,000個/時という凄まじさです。これが今回目撃した瞬間最大流星数です。 |
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![]() 「流星痕」50mmF1.8,04:25頃〜10秒露出 |
![]() 「ししの大鎌から飛び出した火球」50mmF1.8,04:40頃〜3分露出 |
稲妻が光ったかのような明るい火球も多くて,青白い光を放ちながら夜空を切り裂くものや,オレンジ色の美しい直線を描きながら突然先端が爆発するものなど,素晴らしい迫力でした。そして火球が流れたあとには,雲のような流星痕がしばらくの間ぼんやり漂っていました。 04時が近づくとさすがにまとまった流れ方は少なくなりましたが,あい変わらず,どこを向いても待つことがないほどに流星が流れていて,それは夜明けまで続きました。そして,空が十分に明るくなった06時30分頃でもまだ明るい流星は見えていました。 今回のしし座流星雨の特徴として,@母天体(テンペル・タットル彗星)の回帰からすでに3年8ヶ月を経過していたにもかかわらず明るい流星が多かったこと,A流星雨の継続時間がやたらと長かったことなどがあげられます。でも,なんと言っても最大の出来事は,アッシャー予測が3年連続して的中したことでしょう。これによって理論は確立されたとみられ,これまで不可能とされてきた流星群の出現予測に新たな時代が訪れたといって良いと思います。 しし群に魅せられて,テンペル・タットル彗星の撮影から始まった私の「しし群追っかけ」は,流星天文学に新たな道が切り拓かれていく過程を実体験するものでもありました。アッシャー予測によって,多くの人がしし座流星群の感動を胸に刻んだことでしょう。降り注ぐ光のシャワーを浴びながら,「この時代に生きていて良かった」,そんな感慨まで抱かせた今回のしし座流星雨。これほどの天文現象に巡り合う幸運はまたとないかもしれません。 |
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