デービット・アッシャー氏と観測したしし座流星雨-2 |
さて、氏とのしし座流星雨観測の話に入らせていただく。氏が群馬に来られたのは11月17日の午後であった。私は前日の16日まで勤務先の学校の修学旅行の引率で出張であったため、これからの決戦を前に疲労した肉体を震い立たせねばならなかった。氏とは17/18、18/19日の2晩観測する予定であり、関東地方は幸い両日共に天候に恵まれそうであった。観測場所は群馬県西部の某所であり、私が時々利用する流星観測には絶好のマイナーな場所である。氏も誰にも邪魔されない静かな所を強く望まれていたのである。同行者は両日共に私の妻、18/19日のみ東京から来られた氏の友人が一人加わった。観測修了迄はマスコミの取材は全てお断りすることに氏は大賛成であった。ただし、通信環境が途絶えるためにNHKの水野氏に携帯でアメリカでの状況をお知らせいただくことをお願いしておいた。 2001年11月17/18日、この日は地球が母彗星軌道の降交点を通過する日であり、今までの考え方だと最も流星が出現することになる。しかし、氏の理論ではピークは明日(18/19)である。深夜、我が家を出発、午前2時ごろから3時間程観測を行った。この日の出現はいわゆる母彗星回帰3年が経過した通常極大と考えると納得の行くものであり、氏も同感であるようであった。ただし、意外に火球が多く見られた。この日は早朝に帰宅し、おでんとビールで明日の流星雨を祈念し、就寝した。 2001年11月18/19日、12時起床、いよいよ氏にとって運命の日、空は快晴、歴史的な時間が刻々と迫りくると思うと胸が高鳴る。氏の友人であるKさんを渋川駅に迎えに行った。そして夕刻、昨日の場所へ向かって出発した。上信越道をひたすら西へ走る。インターを降り、途中夕食を取りにラーメン屋さんに寄った。時刻は18時30分、あと30分で北米大陸に訪れる第一ピークである。氏もだいぶ気にしているようである。これが当たれば間違いなく数時間後に日本でより強いピークが来るであろう。水野さんからはまだ何の情報も来ない。 19時30分、観測場所に到着、テントを張り、ひとまず待機。空は概ね快晴である。私の観測機材はII搭載の50mmレンズのビデオカメラ、6mmレンズを付けたWATECのCCDビデオカメラである。撮影はビデオにまかせ、私は流星の数と光度を見積もる計数観測に徹することを当初から考えていた。 22時30分、テントの中で私の携帯が鳴った。水野氏からである。北米大陸で予想通りZHR3000クラスの流星雨が起こったとのこと。私は氏に喜び勇んで、「おめでとう」と叫んだ。氏は安堵感を抱いたものの特に興奮している様子もなく、冷静そのものであった。自分の理論に絶対の確信があったのであろう。科学者としての氏の姿に私は感動を抱かずにいられなかった。数時間後には必ず流星嵐が日本の空を襲うことは間違いない。 |
![]() 公演中のアッシャ−さん |
23時観測開始、4人共に寝袋にくるまり東天を視野に入れる。しし座はまだ登ったばかりである。明るい長径路流星が次々に飛来する。流星はどんどん数を増し午前2時過ぎにはHR1000クラスになり必死でカウントする。2時30分頃には氏の予想した第二ピークが訪れ、3時過ぎには流星の出現は最高潮に達した。氏の予想した第三ピークと重なった結果、このような結果になったのだろう。もはや光度見積もりは不可能に成ってしまった。流星の数を10個単位でカウントすることに専念することにした。傍らのビデオはこの現象を刻々と捕らえているはずである。私は生まれて初めて見る流星雨に、終始興奮状態で、傍らの氏を褒め称えないわけにはいかなかった。 しかし、氏はいたって冷静である。まるで自分が説き明かした当たり前のことが、ただたんに目の前で起きていると言わんばかりにである。そして、4時過ぎには徐々に衰え始め、夜明けのフィナーレを迎えた。薄明の空を見上げながら、夢にまで見た流星雨に出会えた感動がこみ上げてきた。それは叶わなかった夢である遠く1972年、群馬県赤城山で曇天の下見上げたジャコビニ流星雨を彷彿させるものでもあった。そして、それ以上に感激したのは今までの流星天文学の常識を綿密な理論で打破してしまった偉大な天文学者である氏とこの歴史的な瞬間を共に出来たことである。 2001年11月19日に見上げた夜明けの空は正に、流星天文学の夜明けを告げる輝きに満ちたものであった。テントに戻り4人で祝杯を上げて就寝した。水野氏には今回の流星雨に対する氏の感想を私が代弁し、携帯で伝えておいた。午後には温泉に入り疲れを癒した。帰宅途中、車中で携帯が鳴った。水野氏からであった。今夜のNHKニュースで氏がどのような感想を抱いたか是非、放映したいとのこと。氏に伝えたら頑なに拒否されていた。おそらく氏は相当疲れていたのであろう。妻が「全国の人が今回の感動を与えてくれた人物を一目、見たがっているのだから10分で帰る条件付きでインタビュ?を受けてあげたら」と氏に伝えた。氏はこれを受けてくれた。夕刻NHKの前橋放送局が我が家を訪れ、インタビュー画像を東京に転送し、その夜のニュース10で放映の運びになった。後に妻はこの行為は氏にとって悪かったのではないかと複雑な心境を抱いていたようだ。 今回、氏と共にしし座流星雨を観測したことをなるべくありのままに書かせていただいた。私に取って科学者のあるべき真の姿を見たようで、生涯の思い出と感動を得ることが出来た。流星研究者を自認する私が今後やるべきことは、今回のものも含めたデータ解析である。それが流星天文学の新たな理論の構築に、少しでも貢献することが出来れば望外の幸せであると思うし、それこそが氏との友情を深める礎だと思う。 |