2024年9月4日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)
ニースの夏は長い。生まれて以来本州で過ごしてきた私にとって、初めての梅雨がない夏であった。5月になると街は観光客で賑わい、9月になっても退勤後に海水浴を楽しめるくらいには暑いので、ニースの夏はおおよそ5ヶ月間と言っても差し支えないだろう。渡仏前にニースの年間気温、年間降水量を東京のそれらと比べた。海外出張前に出張先の気温を調べることはあっても、一年を通した傾向を気にしたことはなかった。ある都市の年間気温を調べるのは中学高校の地理の授業以外では初めての経験だったと思う。比較の結果、ニースの夏は日本より気温が低く、冬は日本より気温が高いらしい。地中海に面するニースは降水量も少なく、年間およそ300日が晴れとされている。まさか10年後に自分が地中海に住むとは中高生の私は想像もしていなかった。授業中に寝ることなくヨーロッパの歴史、文化、地理の勉強に精を出していれば良かったと今更後悔する
快適な夏を楽しみ始めた7月中旬に、気温が渡仏前に調べた値よりも高くなっていることに気づいた。ニースに長く住む人の話によると、特に最近では、ニースの気温が上がっているらしい。とはいえ最も暑い1ヶ月でも最高気温は32℃程度で、この気温であれば依然として日本の夏よりは過ごしやすいはずである。実際はそうはいかなかった。エアコンがないからだ。
フランスにエアコンがないという噂は渡仏前から耳にしていた。ただ、フランス滞在経験者の「フランスはエアコンがなくて辛かった。」という感想を聞くたびに、内心では何を大袈裟に言っているのかと感じていた。エアコンが整備された日本で育ったことで、エアコンがない環境に適応できなくなってしまっただけで、少し経てば慣れるだろうと高を括っていた。しかし経験者たちの意見は正しかった。率直に言うと、エアコンがない生活は耐え難いほどに暑かった。勤務先であるコートダジュール天文台の居室、天文台の食堂、そして滞在中のアパートのどこにもエアコンがない。受入教員のマルコや新しい同僚との研究の楽しさとエアコンのない苦しさの大きさを天秤にかけるなら、ロシアワールドカップの日本対ベルギー戦くらい良い勝負をしている。熱中症になるほど辛いことは少ないが、部屋にエアコンがないため眠りの質は低下し、寝不足になり、日中の集中力が低下するという悪循環に陥った。
ある日暑すぎて昼過ぎに天文台を後にし、冷気を求めて街のスターバックスへ駆け込んだ。なぜエアコンがないのかを考えてみる。天文台の同僚たちの中で、エアコンがないことを真剣に批判する者はいないことに気づく。中には、「エアコンがなくて居室が暑いから、昼間に仕事を中断してエアコンのある部屋に移動する。」という非日常を楽しんでいるものさえいる。この状況を一人で覆すことができるわけはなく、郷に入れば郷に従え、と言われているように感じた。日本と異なりフランスでエアコンが流行しない背景には、環境問題に対する意識の違いもあるのかもしれない。
さて、エアコンがない状況に慣れることもなく8月がやってきた。暑さから逃げたい気持ちと同僚の多くがバカンスを楽しむ状況が重なり、人生初のバカンスを楽しむ準備は整った。ここ数年はラップトップをもって旅に行くことが多かったが、When in France do as the French do、と自分に言い聞かせ、ラップトップを置き去りにしてフェリー乗り場へ向かった。フランス一年目のバカンスは地中海の観光名所であるコルシカ島を満喫した。海鮮を楽しみすぎて旅行中に食中毒になるという予想外の出来事がありつつも、一ヶ月後にはそれすらも良い思い出となっている。
写真1.コルシカ島北西部ポルトのビーチ。険しい岩肌と澄み渡るビーチのマリアージュは圧巻であった。