月刊コートダジュール(11月号)

   コートダジュール天文台と同世代のムードンのパリ天文台へ

       2025年12月7日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)


2025年11月上旬、寒波に包まれる前のパリを訪れた。パリの南西にあるムードンのパリ天文台、LIRA (Laboratoire d'Instrumentation et de Recherche en Astrophysique) にて、将来ミッションに関する議論を進めるためである。なお、LIRAは今年からの新しい名称で、これまでのLESIA (Laboratoire d'?tudes spatiales et d'instrumentation en astrophysique)含む複数の研究所が合併した組織の名称らしい。フランスは何でも略すのが好きで、かつ組織の構造がしばしば変わる。自分の所属一つとっても随分ややこしく感じていたのだが、フランス人の同僚もその複雑さに悪態をついていたので、自分のフランス語能力の低さとは関係はなさそうだ。ニースに滞在していながら、パリを訪れるのは実は一年半ぶり、二度目であった。フランス国内で近いといっても、距離は大阪?東京間の二倍ほどあり、用がなければ訪れることはない。大学院時代、東京から大阪の実家に帰るのが半年に一度だったことを思えば、親元でないパリを再訪するのに一年半かかるのは自然に思う。

私が所属しているニースのコートダジュール天文台は1879年に完成したそうなので、150年を超える長い歴史がある。私の居室は、その中でも特に古い建物にあり、一年以上経ってもその厳かな雰囲気に慣れることはなく、歴史のある建物ならではの研究生活に感動しっぱなしだ。ムードンのパリ天文台の雰囲気はそれに匹敵するほどに良かった。あの大都市パリの天文台と聞いて大都会の真ん中にあるものかと思っていたが、今回訪れたムードンは行政的にはパリではない。天文台の宿命としてアクセスが少し悪い場所にあり、パリの喧騒から逃れた環境であった。それゆえニースと比べても自然が多かった。事前知識もなく訪れたが、ムードンの街の美しさに感銘を受けた。

議論の休憩中に同僚に聞いたところ、ムードンのパリ天文台付近はもともとルイ14世の長男が住んでいた場所だという。かつては廃墟となっていた場所を天文台として使い始めたようだ。LIRAという名称の新しさとは対照的に、天文台そのものは1876年の完成で、すでに150年以上が経っている歴史のある天文台だ。ちょうどコートダジュール天文台とは同世代ということになる。ちなみに、パリ市内14区にあるパリ天文台は、ルイ14世の指示で建設され、1667年に開設したそうだ。つまり、350年にも及ぶ、さらに長い歴史がある。

11月のパリはすでに極寒かと覚悟していたが、運良く太陽が顔を出している時間が長く、非常に快適な滞在となった。余った時間にはルーブル美術館を訪れ、念願の「モナ・リザ」を拝むこともできた。ほぼ初めての都市にもかかわらず過ごしやすいと感じられたのは、少しずつフランス語に慣れてきたからだろうか。スーパーで目に入るものやあいさつが普段と変わらないというだけで、安心できたのだろうか。ただし、一年半という期間は日本で育った自分の胃袋を納得させるにはまだ少し短いようで、旅先では、日本食料理店を探すのが日課である。その結果パリ初日の夕食はトンカツをいただいた。この機会に海外で日本食レストランを営むすべての人に深く感謝したい。

 

写真1. 滞在していたモンパルナスの近くのトンカツ屋「とんぼ」のフライセット。暫定パリで一番のご馳走である。

 

写真2. パリ天文台のエントランスに隣接する市立公園 Terrasse de l’Observatoire の木々。時間の余裕がない人はこの木々を見ずに天文台への門を潜らなければいけない。木々の方へと足を進めた末に道に迷う人が後を立たないらしく、自分もその1人となった。