2026年1月15日 紅山 仁 (コートダジュール天文台)
2025年12月、ニースで2回目の引越しをした。前回は渡仏5ヶ月後、仮住まいからの引越しだったため (月刊コートダジュール2024年9月号「ニースでの引越し ? 開通しないインターネット回線」を参照)、アパート間の引越しは今回が初めてである。諸々の手続きに時間のかかる国フランスでの引越しは面倒だろうなあと覚悟していたつもりだったが、想像をはるかに超えてきた。海外生活は大変だという先人たちの言葉を改めて痛感する機会となった。ここでは数多くの困難のうち、ごく一部を紹介する。
まずはサブスクリプション関係の変更、解約手続きに手間がかかった。具体的には住宅保険と (苦労して手に入れたばかりの) インターネットの変更手続き、それから電気の解約手続きを行った。数年前までは解約のために手紙を送る必要があったものも少なくないようだが、2025年現在はウェブ上で解約できるものが増えており、実際に上記の3つはウェブで完結した。それでも、解約日は一週間から数週間後しか指定できないものがほとんどで、引越しが決まり次第、時間に余裕を持って取り組む必要性が感じられた。他には引越しに際して、家電量販店の優待会員制度の解約を行った。有効活用できていないため引越しのタイミングでの解約を決めたのだが、こちらが曲者だった。解約手続きはウェブ上で完結せず、店舗を訪れても対応できないと言われる始末。どうやら解約するには指定の番号に電話をして、「フランス語のみ対応の窓口」で解約する旨を伝えなければいけなかった。困って街中で電話をかけ、通りがかりの若者に代わりに解約してもらった。在仏2年目にもなると、そうした人を見つける目が肥えてきたようで、最初に声をかけた若者があっさり解約を成功させてくれた。それでも解約日は1ヶ月後以降しか指定できず、不要な1ヶ月の月額料を払う羽目になった。電話対応を快く手伝ってくれた若者も、「これがフランス流だから頑張って。」と笑っていた。他にはウェブ上で解約できたものの、インターネットの解約にはおよそ1万円の解約料がかかったりと、容赦がない。引越しの回数が多いほどお金がかかるのは全世界共通であることを実感した。
引越しが決まってからは計画的に準備を進めたつもりだったが、大家さんとはうまが合わなかった。フランスで賃貸アパートを退去する際には「退去する旨を伝える手紙」(Lettre de cong? などと呼ばれる) を郵送または手渡しすることが伝統のようで、今でも要求する大家は少なくないらしい。私の旧宅の大家も例に漏れず、この手続きを求めた。フランス政府が行政手続きを丁寧に行なってくれたおかげでビザも滞在許可証もない状態であったにも関わらず入居を認めてくれた大家には頭があがらない。入居時には二年間住む、と言って契約をしたのに、予定よりも早く退去することになり申し訳ない気持ちはあったが、こちらにも退去する権利はある。新しいアパートを見つけて引越ししようとしていることを電話で伝えた際に、「退去する旨を伝える手紙」を送ってくれ、と言われた。要求に従い3日後に手紙を出したのだが、その手紙が大家に受け取られたのはなんと3週間後であった。大家は「ニースにいなかったため受け取りが遅くなった。」と言っていたが、それが本当かどうかはわからないし、確認のしようがない。契約上、(手紙発送ではなく) 手紙受領から1ヶ月後でないと退去できず、家賃が約1ヶ月二重払いとなってしまった。この対応は不誠実なのではないかと思いインターネットで調べてみると、似た境遇の人が多く、よくある話のようだ。今後、自分と同じような犠牲者が1人でも減ることを祈っている。
退去と並行して行った新居への荷物運搬は、天文台の同僚のウクライナ人のアレクセイが手伝ってくれた。アレクセイはジブリ作品に出てきそうな小ぶりでかわいい車に乗っている。その車に、これでもかというほど荷物を詰め込み、車内に入らない椅子は車の上に固定された。「日本なら違反だ。わずか数分の移動といえど違反なのではないか。」と聞いてみたが、アレクセイの返答は「問題はない。」の一点張りだった。欧州の人と議論していると、自分の意見を持っているなあ、頑固だなあ、話にならないなあ、と感じることがあるが、まさにその典型例だ。ともあれ、休日に手伝いをしてくれている同僚を信じないわけにもいかない。大きな問題なく荷物を運び終え、ホッとしたのを覚えている。アレクセイには退去手続きで小競り合いになった大家との話し合いにも立ち会ってもらった。その際には、「欧州では人を頼るのが普通だ。自分たちの間柄であればなんでも頼って良いのだから遠慮する必要はない。」と言ってくれた。
退去手続きを終えた晩にはアレクセイ一家が自宅でのディナーに招待してくれて、ウクライナ名物のボルシチをいただいた。主に東欧の、日本人にとっては少々強い酒が並び、アレクセイの都合の良いタイミングで次の一杯が提供される。一杯ごとに乾杯する文化があるようで、時には「Будьмо (ブドゥモ) 」と乾杯をして、皆で飲み干す。ボルシチをいただいた後にはチーズ焼き機 (小さな卵焼き機みたいなものが4つほど同時に温められる電化製品で、四角くカットしたチーズとハムを焼くものらしい) を使ってラクレットチーズをいただいた。チーズ焼き機はスイスに住む友人からのプレゼントらしく、アレクセイ曰く欧州では当たり前の「助け合い」の産物のようだ。会の最後にはウクライナに住む友人からその日に届いたばかりというスイーツも出してくれた。ベリーのエキスが大量に入ったチョコレートで、かなり甘かった。馬の骨とも分からない日本人研究者である私と食事を共にしてくれた年頃の娘さんたち、妻のエレーナ、アレクセイの欧州風の優しさに包まれた一日になった。度数の高いお酒の後押しもあり、後味の悪い引越しを忘れさせてくれた。
写真1. ウクライナ名物のボルシチ。生のニンニクを齧ってから食べるという伝統に従っていただいた。優しい味がニンニクの辛さを緩和してくれた。
写真2. ウクライナに住む友人から届いた荷物に入っていたというウクライナ名物のスイーツ。ベリージャムのようなものがチョコレートに包まれている甘党向けのスイーツであった。大切な贈り物を提供してくれる一家の優しさを感じた。